←SITE TOP|←TEXT

第二章

 新日本プロレスには闘魂三銃士と言われる三人が居た。
武藤敬司、橋本真也、そして蝶野正洋は切磋琢磨しながら、アントニオ猪木が
引退してからの、否、その前から新日マットを支えてきた。

 1995年、UWFインターナショナルは旗揚げからわずか4年で窮地に居た。
エース高田延彦の議員選出馬、No.2であった山崎一夫の新日本プロレス復帰、
ゲーリーオブライトの全日本プロレスへの移籍、そして何よりも経営状態が
思わしくなかった事が挙げられる。この逆風の中で田村潔司の爆弾発言を
会社側として呑む事は出来なかった事情は、十分に察する事が出来る。
だが、山崎の新日出戻りがUインター崩壊を後押しした事は事実である。
 同年8月、出戻りの山崎に関して、新日本プロレスとトップレスラーを
失ったUインターの間にあった確執がはっきりと表面化する。
24日の同じ時間に会見を開いた両団体。その席上で長州力が高田に一本の
電話をかけた。
長州力「やるのかやらないのか、どっちだ?」
高田延彦「やりますよ」
長州力「もう逃がさないぞ。Uをドームで消してやる」
高田延彦「これは対抗戦じゃない。団体の潰し合いだ」
そう、新日本プロレスvsUWFインターナショナルの戦争である。

 前田日明と共に新日本を飛び出て、第一次UWF、第二次UWF、そして
ついにUWFインターのトップとなった高田延彦が対抗戦で帰ってくる。
「世界中のチャンピオン、誰でも挑戦してきて下さい。僕は誰の挑戦でも
 受けます!」
こうやってUインターのリングで演説し、実際に力を見せ付けた高田延彦。
猪木から前田日明に、そして高田へと「最強の称号」の系譜は引き継がれ、
実際にそのうねりはUインターのファンだけの物では無くなりつつあった。
 新日本プロレスは武藤敬司が迎撃の任につきリングで相対する事になった。
新日本が行う「ロープに投げたら戻ってくるプロレス」を今まで白眼視する。
これが高田らU系の存在理由であり、彼らが否定した団体の代表として
エースである武藤がリングに立つのだ。互いの生な感情が発露しないはずがない。

 1995年10月9日東京ドーム。プロレスファンは一生忘れる事が
無いであろう戦い。Uインターvs新日本の全面戦争の当日である。
第一試合 ○ 石沢常光&永田裕志  vs 桜庭和志&金原弘光 ×
第二試合 ○ 大谷晋二郎      vs 山本喧一 ×
第三試合 × 飯塚高史       vs 高山善廣 ○
第四試合 × 獣神サンダーライガー vs 佐野直喜 ○
第五試合 ○ 長州力        vs 安生洋二 ×
第六試合 × 佐々木健介      vs 垣原賢人 ○
第七試合 ○ 橋本真也       vs 中野龍男 ×
 第一試合終了時は割れんばかりの歓声が、第五試合では更なる歓喜の声が、
第六試合では一気にUインターファンの声が鳴り響いた。
そして第八試合、両団体のエース同士のぶつかり合いである。
英国のオッズ会社が二人に採点すれば、ファンの中での前評判は高田が優勢。
新日ファンの内なる声は「絶対に勝つ」ではなく「勝って欲しい」が
多数を占めていたのではないだろうか。
 ドームの壁が割れるかのような歓声の中、武藤と高田が入場する。
高田が不用意に放ったキック。その足を掴んだまま武藤が体を回転させる。
新日本プロレスのドラゴン藤波が愛用する”ドラゴンスクリュー”の変形版、
異なる点は足が曲がらない方向に対して武藤が体をひねった所である。
武藤はそのまま足を痛めた高田に追い討ちをかける。
プロレスらしい技。バーリトゥードでは決して使われない技。
足四の字固めである。
高田はタップ(ギブアップ宣言)し、新日側の勝利が確定した。
武藤が新日本プロレスの看板を守ったのである。



Vol.3→