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■クローン人間

クローン人間が来年初頭に生まれる予定である事が発表された。
生まれる前から死んだ後まで、実験体としてのみの生を受ける人間。
私はどの宗教に対しても一切の信仰をしていないが、
敬虔な信仰者はこの生命の理から逸脱した奇形概念に対して、
未来に於いてどのような意味付けをするのだろうか。
モルモットが望んだ時にも「神の祝福を」とささやけるのだろうか。

 石ノ森章太郎の数多の作品の中にキカイダーがある。
私は特撮のキカイダー、そしてキカイダー01を観ていたが、
原作のキカイダーは其れとは全く違う終末へと話が進んでいく。
 キカイダーには良心回路と云う物が体内に組み込まれていた。
いつぞや私がさくらから提示してもらったアジモフのロボット学の三原則を、
「ロボットは嘘を吐いてはならない」と昇華した形で石ノ森は用いていた。
元となるピノキオの童話の反定立として描かれたと見る向きが強いが、
確かにピノキオの中では「嘘を吐くこと」を前提としており、つまりは
ピノキオは嘘を吐く事で悩み、キカイダーは嘘を吐けない事で悩んでいた。
 最終話、キカイダーは良心回路と敵であるハカイダー・ギルから
植え付けられた服従回路を併せ持った事で、破壊光線を使う判断を下す。
初めて嘘を吐く事で兄と仲間を殺し、悪の心でハカイダー・ギルを破壊する。
こうして物語は終わり、ナレーションが最後に残る。
「こうしてピノキオは人間になる事が出来ました。
 でもピノキオは人間になって本当に幸せになる事が出来たのでしょうか?」

 モルモットはモルモットでしか無く自己同一性は無い。
学問と云う名のこの左道は深い業しか生み出さない。
同一性という概念に対する欺瞞なのか、それとも超越するつもりなのか。
医学にあざとさが介在して良いのか、そもそもあざとさ無き医学は無いのか。
もしや延命技術や進化という大義は何物にも代え難いのか。
遺伝学の行き先は、とどのつまりこう云う事だったのか。

 私は遺伝が全てを決定すると云う概念が嫌いだし、且つ認めていない。
歴史とは後天的な知識と経験の伝播によって紡がれるべき物であり、
思考は各個人の脳で為されなければならない。
これは血族が持つ切っても切れぬ縁とは全く別物であり、他人であってよい。
むしろ押し並べて吟味する視点を持ちやすいと云う一点に於いて、
血の繋がりが無い他人である事の方が利点は多いと思っている。
 自分が抱いた理念を、誰かに数多の一つとして提示出来る事。
この喜びの定義を、幸いにして私は一人には提示出来ている事で充たしている。
同時に、更なる提示を欲すれば私は常に前を見ていなければなとも思う。
作成不可能と言われる永久機関だが、これこそが永久機関ではないのだろうか。