■加藤大治郎 (2003/4/22)
GP500からモトGPに名前が変わり、2ストは500ccまで、4ストは990ccまで可能な
クラスになっている。2001年にGP250でワールドチャンプになった加藤は、モトGP
クラスに階級を上げたが、欧州に必要以上に気を遣う日本は、モトGP初年度の
ライダーに4ストのRC211Vと云うマシンを与えるには至らなかった。「まずは2スト
NSR500で実績を出して欲しい」と云う話が、HONDAから加藤のチームに通達され
ていた事は想像が出来る。しかし加藤はそれを苦ともせず、開幕第3戦目である
ヘレスGPで、いきなりの2位でチェッカーフラッグを受ける事になった。
往年のWGPファン(GP500やGP350のカテゴリを知っている人)にとっては2スト
信仰と云う物があり、マルチやV5マシンよりも、2ストのパワーバンドと加速に重き
を置いてしまうのは当然の話だった。だが絶対的な排気量差は2ストにとって不利
であり、一気に2ストマシンの戦闘力を過去の物へと追いやってしまった。事実、
GP250からステップアップした原田がアプリリアで挑戦したが、2ストアプリリアでは
満足な戦いが出来なかった。同時に、2ストのNSR500で走り続けてきたバロスが
昨年の終盤にやっとRC211Vが供給され、その供給されたレースで何とロッシを
終始完璧に押さえ込んでしまった事は、現在の4スト全盛を裏付けてしまった。
約30年ぶりにGPシーンに姿を見せて勝ち負けの争いをしてしまったDUCATIの
力を鈴鹿GPで見せつけられたが、2ストよりもエンジン(勿論マシン本体も)が
複雑化する4ストは、開発力が非常に長い期間必要となる。キングケニーが
モデナスと共同開発していたKR-3(3気筒)がパッとした成績を残せなかった事も
当然であり、kawasakiが低調なレース結果であったとしても致し方ないのである。
DUCATIは何かが異常なだけなのだ。
ヘレスでの表彰台以来リタイヤを含む低調な成績が続き、どうにもスランプに
陥っているのではなのかと思われていた。しかし得意とするホームグラウンド、
鈴鹿での8時間耐久レースで見事に二年ぶりの優勝を飾った。その優勝祝い
としてだろうか、HONDAから加藤へのプレゼントが届く。待ち望んだ戦闘力のある
4ストマシン、RC211Vが与えられる事になったのである。4スト初レースとなるその
チェコGPで2位チェッカーを受けた事、MOTEGIグランプリでポールポジションを
獲得した事も、「間違いなく来年は加藤の年になる」と云う声を後押していた。
結局、2002年のポイントランキング総合7位、そして新人王に輝いた事を受け、
今年は遂にHONDAフルワークスでのRC211Vを与えられたシーズンとなった。
「ボクシングで言えばミドル級のチャンプ。ヘビー級ではまだ勝ってないでしょ?」
などと甚だしい素人考えを言う人もいるが、昨年の第三戦にNSR500で表彰台に
上がった事実を考えれば、待ち望んだ4ストマシンで駆る今年こそが本領発揮の
シーズンとなるはずだった事が分かるだろう。プレシーズンにテスト走行を重ね、
いつ表彰台の真ん中に立つ姿があってもおかしくない、そんな最中だったのだ。
加藤追悼の言葉を沢山の人達が出していた。
・Fausto
Gresini(ファウスト・グレッシーニ)
言葉が出てこない。私とチームの皆はこれから加藤へ最後の別れを言いに行く。
加藤は13日間の昏睡の末に逝ってしまった。何と言っていいか分からない。
この上もなく悲しい。
・Angel
Nieto(アンヘル・ニエト)
率直に言って、彼は私が今まで見た最も凄いライダーだった。スーパースターに
なる途中だったんだ。彼の技術はピカ一でバイクコントロールはほとんど完璧、
本当に才能豊かで、今まさにスターになっていく所だったんだ。彼の死はレース界
にとって本当に残念なことだよ。僕らは彼の才能を忘れないだろう。
・Franco
Uncini(フランコ・ウンチーニ)
彼と彼の家族の為に、コメントをせずに今は沈黙を選ぶよ。ただ一つだけ私に
言えることは非常に残念だということだ。彼の訃報など聞きたくなかった。
訃報を聞いた瞬間、私も言葉を失ったよ。
・Max
Biaggi(マックス・ビアッジ)
とても悲しく感じている。世界のスポーツ界にとってとても大きな衝撃だ。
病状がとても深刻で望みは薄いという事も聞いてはいたが、この聞きたくなかった
知らせは腹にパンチを食らったようだ。彼と彼の家族に心からのお悔やみを…。
・Loris
Capirossi(ロリス・カピロッシ)
言葉が見つからない。一つだけ言えるのは、彼の家族、ファウスト・グレシーニ
監督、そして私が、とても悲しく感じているということだけだ。
・Valentino
Rossi(ヴァレンティーノ・ロッシ) ――友人の死に無言で立ち去る。
彼の父親で元GP500ライダーGranzianoが代わりに答えた。――
息子と話した時、あまりにも心の痛みが激しく語る言葉も無いという風だった。
・阿部典史(ノリック)
子供の頃から一緒にレースをしてきた阿部は
「祭壇の写真を見ても信じられないし、信じたくない。(加藤さんの)お父さんに
“体に気をつけて”と言っていただいたが、つらかった」
と目を真っ赤にして話した。(22日スポニチ)
加藤と同じく元GP250王者である原田は、親友だった若井選手の死から走行が
変わったとも言われている。若井選手の事故は本当に悲しい物で、練習走行中
に観客がピットロードに飛び出し、レーンを加速中だった若井は避けられずに
亡くなってしまったのである。彼に過失など無くいたたまれない事故だった。
強敵でもある友人の死を乗り越えて、と口に出すのは簡単だ。最高時速300km
を越えた世界で戦っている人達にとっては、巷の友人関係と一緒くたに出来ない
物が構築されている。通夜や葬式に参加も出来ずにレース開催地に向かった
宇川や玉田が、原田がGP250ccを制した時の様に鬼気迫る走行をすることが
想像できるのだが、「死なないで」と願う事とは相容れない気もしている。
私の親族はバイク乗りが多く、親父さんはHONDA党、兄貴はkawasaki党であり
叔父さんはレストア好きの旧車乗り、従姉妹はあるレース場のレコードホルダーと
割と理解力のある環境であったと言える。だがそう云う環境にあっても、私の母親
などは「バイクは危ない」とあまり良い顔をせずに私達を送り出していた。リスクが
付きまとうが故の面白さ、車や自転車で味わえない物があるが故のバイクだが、
「悲しむだろうな」と云う顔がちらつくと”あともう少し”の領域に入り込めない。
そういった代替物など無い面白さを考慮に入れたとしても、葬式の映像から
流れる残された夫人の泣き顔や、何が起こったのかも判らない子供さんの顔を
見ていると、やはり「死なないで」と言いたくなってしまった。
まさに一人の英雄を失ったのだと、時間が経つに連れて実感が沸く。
たら、れば、で故人の可能性を語りたくは無い。だが語らずにはいられない。
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