■演繹+帰納=愚昧 (2003/2/21)
先に結論を設定してから論理過程を作成する事を帰納法と云う。感情的に
生きる人間に多く見られる思考原理は、先に結論を選定してから論理過程を
作成するのではなく、その結論に沿って素材を選び出してから演繹的に論理
的過程を作成すると云う、浅ましい方法を選択している。分かりやすく云うと、
結論の設定→論理は後回し→素材の選定→必然の過程→当然の結論という有り得ない形の数学的証明を一人心地で行っているのだ。これをして
論理的だと言い切る人達の脳には、一体何が詰まっているのだろうか。
この有り得ない形の数学的証明の内訳は以下のようになる。
1.こうであって欲しいという結論の設定
2.逆三段論法とでも云うべき帰納法
3.2から導かれる素材の選定
4.同じ点を通るが故に慨然ではなく必然になる過程
5.1と同じ結論になる事は当然
材料を全て集めて平坦な見方をする事を客観性と云い、これで生じ得る段階が
”予見”である。逆に全てが集まっていない状態での客観性では”予断”の段階に
しか推移し得ず、この予断から「きっとそうだ」と”断定”へと推し進めてしまう事が
「有り得ない数学的証明」となるのである。
固執の感情の全てを拭い去る事は出来ないし、ブッダの様に全てを持つ者は
誰も居ない。捨て去ることではなく並々ならぬ固執を抱き続ける、そんな人が
更なる愚なる道に迷い込んでしまうのだろう。
一つの結論は過程であり、別の結論を導くための構成要素に過ぎない。
それら全てを繋ぐ接着剤が論理であって、それ以上でも以下でも無い。
拘りすぎると見誤る。
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