■現代の陰陽師
何かを数えている時、思わず口に出してしまう事が多々有る。
番町皿屋敷であっても、「一枚、二枚」と態々(わざわざ)口に出す程だが、
東京では「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、く、じゅう」となる所が、
大阪では「いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく、しち、はち、くぅ、じゅぅ」となる。
この発音の違いは文字では表現しきれないのだが、一文字一文字を明瞭に
分けて言うのではなく、流れるような発音方法なのが大阪の読み方の様だ。
しかし、わたしの家では読み方が違った。
ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな、やぁ、ここの、とぉ。
所謂、十種神宝(とくさのかむだから)の物部(もののべ)神道の名残である。
奥津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、という鏡。
八握剣(やつかのつるぎ)という剣。
生玉(いくたま)、死反玉(まかるかへしのたま)、足玉(たるたま)、
道反玉(ちかえしのたま)という玉。
蛇比礼(おのちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、
品々物比礼(くさぐさのもののひれ)という比礼。
十種神宝とは、以上の十個を指す。
饒速日命(にぎはやひのみこと)が天から授かった十種神宝を、
その子である宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が天皇に献上した事から、
石上神宮(現奈良県天理市)が生まれ、物部氏が台頭していく事になる。
軍事に優れた宇摩志麻治命は後に即位する神武(じんむ)天皇を助けて
大和建国の立役者となり、後に石見の国(現島根県)に引いて没したが、
物部神道の本山となる”物部神社”とは、この宇摩志麻治命が祭神である。
この物部神社は、布留社(ふるのやしろ)」と呼ばれる振魂(ふるたま)神法を
今に伝えている。
この布留と振に共通する、”ふる”という発音。
件の石上神社の主祭神には、布都御魂大神(ふつのみたまのおおみかみ)、
他の祭神としては布都斬御魂大神(ふつしたまのおおみかみ)、
布留御魂大神(ふつのみたまのおおみかみ)、等が居る。
布都を”ふつ”、布留を”ふる”とも発音出来るのだが、これは神剣が空を斬る、
その時の音を表すと言われている。
言い伝えでは、饒速日命が天から授かったのは天璽瑞宝十種
(あまつしるしみずたからとくさ)、つまりは十種神宝だけではなく、
これを用いてすると言われる”鎮魂の神法”も授かったと言われる。
「一ニ三四五六七八九十 不瑠部由良由良不瑠部」
つまり、ひふみよいむなやこたり、ふるべふるべゆらゆらふるべ、という形で
”ふる”が出てくる。
この方法が書かれた令義解(りょうぎのげorりょうのぎげ)に拠ると、
死者を生き返らせる、言うなれば秘中の秘であり、現在でも其の方法は
伝播を戒められている。
十種大祓(とくさのおはらい)
高天原に神留り坐す 皇神等の鋳顕し給ふ 十種瑞宝を以て
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命に授け給ふ事誨へて曰く
汝此瑞宝を以ちて 中津国に天降り 蒼生を鎮納めよ
蒼生及万物の病疾の事あらば 神宝を以て 御倉板に鎮置て
魂魄鎮祭を為て 瑞宝を布留部 其の神祝の詞に曰く
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸 一二三四五六七八九十瓊音
布瑠部由良由良 如此祈所為ば 死共更に蘇生なんと誨へ給ふ
天神御祖御詔を稟給て 天磐船に乗りて
河内国の河上の哮峯に天降座して 大和国排尾の山の麓
白庭の高庭に遷座て 鎮斎奉り給ふ 号て石上大神と申し奉り
代代神宝の以て 万物の為に布留部の神辞を以て司と為し給ふ
故に布留御魂神と尊敬し奉り 皇子 大連 大臣 其神武を以て
斎に仕へ奉り給ふ 物部の神社 万物聚類化出む大元の神宝は
所謂 瀛都鏡 辺都鏡 八握剣 生玉 死反玉 足玉 道反玉
蛇比礼 蜂比礼 品品物比礼 更に十種神
甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 一二三四五六七八九十瓊音
布留部由良と由良加之奉る事の由縁を以て 平けく聞食せと
命長遠子孫繁栄と 常磐に堅磐に護り給ひ幸ひ給ひ 加持奉る
神通神妙神力加持
この意味は飽くまでも鎮魂である。
だが、「死者を生き返らせる」と間違って物部神道を紹介している人がいる。
物部氏が蘇我氏と争ったが、物部氏が廃仏派で蘇我氏が崇仏派であり、
結果物部氏が敗北する事によって仏教は日本に伝播した。
その物部が反魂を扱うとなると、神として祭って魂を鎮めるという形を越え、
後の仏教の輪廻転生の概念に成り代わってしまう。
後に西行法師が反魂の術を使ったと「撰集抄」で言われているが、
こんな逸話が神道と相容るはずがなく、西行が作ったモノは鬼である、
という話になってくると荒唐無稽もいい所だ。
前振りが些か長くなったのだが、陰陽師の事についてなのである。
現在の神道は、明治維新の際に国教の制定として体系化された「国家神道」、
霊能者などがお祓いをする「民間神道」、行者などの「法華神道」、
ここ100年ほどで宗教体系化された「宗教神道」。
そして「古神道」と言われる、物部神道や伯家神道などである。
お祓い等を現在扱う陰陽師は、京都の陰陽系と、四国の陰陽系しか
表立っては残っていないようだが、京都の其れは物部の言霊を扱っている。
先に述べた、「ゆらゆらふるべ」である。
古神道は血筋を重んじられ、その道統は一子相伝が当然の話であり、
よそ者に過ぎない陰陽師如きが、物部の言霊を扱う事は、外道の至りである。
西行が反魂の術を使った事は、仏教に於ける真理があるのやもしれないが、
他所様の知を使うとは、と。
知の隠匿をはかって特権階級の座に至らしめた成れの果てが、
他所の家の仏壇の饅頭を食うようでは、最早笑うしかあるまい。