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2003/10/30 【選挙に行かないのは外国籍の人だけであって】
 いかにも今更の話なのだが、選挙の時に投票しに行くのが当たり前であって、
投票に行かない人間が社会生活を送っている事とはおかしな話なのである。
 「誰に投票しても一緒だから行かない」。こんな言葉を近々しい人間から吐かれ、
興ざめと云うよりも腹が立った。国政に対して不平や不満を言いつつも選挙に
行かない人間に於いては開いた口がふさがらないが、不平や不満を言わないが
選挙にも行かないと云うのも大した変わりはない。
 社会が在って国があると云う人も居るし、国が在って社会があると云う人もいる。
言葉遊びではなく観念的な話なのだが、「国家が無くても社会は残る」となると
現在社会に於いては不可能となる。国政に対して投票権を行使しない事とは、
「私は誰の助けも受けずに生きている」と大威張りで人に語る事と変わりは無い。
恥知らずと云っても良い。

 守っても守らなくても言った者勝ち、とでも言うような存在だったのが旧来の
政党公約であったが、ここに来て「マニフェスト」なる英国発の言葉を誰もが頻繁に
使用している。つまりは「必ず守る公約」を意味するのだが、今回の衆議院選挙は
このマニフェストを「希望」や「夢」と勘違いした政党が含まれている。
 私はその政党にだけは政権を取らせたくない、それが為に選挙に行くのである。
ハナから政権が取れない政党がほざいている寝言ならば、ひとしきり笑うだけで
話は済むのだが、まかり間違うと与党になりそうな政党の寝言になると笑えない。
世論調査では支持率が上がっているようだが、ほんまかいな……と、さすがに
耳と目を疑ってしまう。失笑などしている暇は無さそうだ。

 「選挙に行かない自由もある」などと言う人は、死ねば良いのにと思う。身体が
不自由で選挙に「行けない」のではなく、何も考えていないから「行かない」のだ。
この手の詭弁を弄する輩は嫌いだ。


2003/10/27 【邯鄲の夢】
 敗北と同時に寒気が私を襲う。騙し騙しの体調が、緊張感が解けた事で一気に
襲いかかってきたのかもしれない。やさぐれる暇も無く卵酒とは、情緒も何も無い。
 日本シリーズは敗北したものの、今年は非常に面白いシーズンだったと言える。
「金で選手を買った」などと言う人もいるが、金本や伊良部、生え抜きでは無いが
素晴らしい活躍をした片岡や中村豊、そして助っ人のリガンやウィリアムスがもしも
居なかったら?と考えた時、答えは「再び最下位」と云う物であったと思う。
 1992年の中村監督以来のAクラスである。来年の開幕戦は11年ぶりに甲子園で
行われるではないか。他球団のファンから見れば微少な幸せと目に映ろうとも、
私達にとっては非常に嬉しい物である。選手の皆さん、今年もお疲れ様。
 熱病にうなされたかのような、夢かと見まごうような数日間が、たった今終わる。


2003/10/26 【そして数時間後】
 伊藤智仁の引退決定のニュースを知り、愛しの阪神タイガースの敗北を味わう。
この状態で「明日勝ったらええんや!」と言えるのは、ここ最近の阪神ファンだけ
ではないだろうか。私(達)は粛々と明日が無事に終わるのを待つだけである。
 八つ当たりなどは私の辞書には無いので有り得ないが、負けが決まった瞬間の
沸点が非常に下がっていた事を思い出す。もしも生まれ育った場所でDNAに組み
込まれた物が在るとするならば、私に於いてはその血中濃度の高さになるのかも
しれない。ふむ。


2003/10/26 【切り結ぶ 刃の下こそ 地獄なれ】
 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、である。サンスポで星野仙一と王貞治について
述べたコラムの文字列だが、星野が若かりし頃から座右の銘としていたらしい。
だが、このニュースにこそ「身を捨ててこそ……」の言葉が相応しいと思う→

 伊藤智仁ショックとでも云うべき物があった。
 1993年に新人としてヤクルトの投手としてマウンドに立ったが、同年の新人として
松井秀喜などもいた。この二人の共通点としては、どちらも幼少の頃から阪神の
ファンであったのに、プロ野球入団の際には阪神に入団しなかった事である。
いつまでもめめしく「裏切り者」なんて事を言い続ける人は、阪神ファンに居ない。
ただ、「いつか阪神に来てくれ」と思っていた事は事実だ。
 話を戻す。伊藤智仁のピッチングはすさまじかった。どの球団のどんな名前が
売れているバッターであっても、彼の球にかすらせる事すら難しかったのである。
伊藤の最大の武器は150キロ弱のストレートと、そして140キロの高速スライダー
と云う宝刀であった。
 阪神タイガースの選手に於いても例外ではなかった。前年、1992年の大混戦の
ペナントレースは最終二試合になっても依然優勝チームが分からず、ヤクルトと
阪神の二チームが優勝争いのままもつれこみ、結局はヤクルトが賜杯を抱いた。
結果として阪神は二位で終わり、来期の巻き返しが叫ばれていた所であった。
その前に立ちはだかったのが伊藤智仁であり、まさに「かすりもしないまま」で
阪神は再びどん底の低迷期をさまよう事になったのである。
 1993年を終えた伊藤智仁の防御率は、なんと0.91であった。全盛期の村山や
稲尾と甲乙付けがたい防御率記録を新人で作り、ヤクルトが10年先までの先発の
大黒柱を手に入れたと信じた人は少なくない。

 その伊藤が、新人王を取っていきなりヒジに故障を訴えた。リハビリから復活を
してはみたものの、高速スライダーの輝きがくすんでいたのは間違いない。だが
ヤクルトファンのみならず、セリーグを見ている他の球団ファンからも「伊藤復活」を
待ち望む声は少なからずあった。初年度の幻影を追いかけるファンと、それに
応えようとする伊藤智仁。そして再びの故障発生――。
 昨日のゲームで2年ぶりに登板した伊藤のストレート、最高速度は何と109キロ
がやっとと云う状態になっていた。外野が何を思うまでもなく、今ジレンマに一番
さいなまれているのは伊藤本人なのだと思う。プロ初年で自らが打ち立てた記録と
当時のピッチング感触と云う記憶、これが重圧となっているのだろう。
 阪神の監督が野村克也だった頃は、野村再生工場に伊藤智仁を呼んでくれ、と
強く思っていた。阪神でこそプレッシャーなど無く、当時の自分を取り戻してくれると
阪神ファンの友人と一緒に語り合っていた事もある。だが、阪神タイガースの匂い
と云う物は星野仙一の手によって一掃され、即効性を伴わない選手は必要ないと
されている。もう縦縞のユニフォームを着る伊藤智仁を見ることは出来なそうだが、
このままプロ野球から引退していく姿は切ないのである。完全復活を望む。


 あと数時間後には日本シリーズ第六戦が始まる。杉内と、、、ムーアだろうか。
第五戦に福原、第六戦にヒゲ柳、先発はこれで良かったと思うが、短期決戦を
久しく味わっていないのは選手だけではなくファンも同じである。今は唯、静かに
開始時間を待つより他にない。選ばれし者の恍惚と不安、共に我等に在り。


2003/10/24 【アーハハ。桧山、お前は男だ!】
 高田延彦風味のタイトルなのだが、当然、気分は非常に昂揚している。
 愛しき阪神タイガースが、ついに三勝二敗と日本一に王手をかけた。福岡ドーム
では二連敗を喫したが甲子園で復活し、三連勝で逆転王手となったのである。

 今日の見所は、ホークスの斉藤が桧山に投げ込んだストレート三球であった。
井川と二人で沢村賞を受賞したプライドが、城島のリードに強気を呼び込み、
阪神の四番打者である所の檜山にストレートを連投と云う結果になったのである。
結果はもちろん決勝点となる二点タイムリー。
 私は桧山進次郎を愛している。どんなに成績が低迷していても、未完の大器と
他の阪神ファンからあざけられようとも、「連絡」と云うあだ名をつけられようとも、
「阪神は桧山が打たなアカン。ソロやなくツーラン、シングルやなくタイムリー、
こんなん出来んのは他におらんやんけ」と、常に他チームのファンにも胸を張って
言い切ってきた。桧山に惚れ込んで早十年――。
 第一戦、第二戦と良い所は無かった。しかし第三戦では藤本の決勝犠打を呼び
込むライト前ヒットを放ち、第四戦では先制の二点タイムリーを放った。お立ち台で
ヒーローインタビューを受ける選手は藤本であり、また金本であったが、その次に
候補があるならば桧山であった事は間違いない。

 今日、お立ち台に立った桧山はこう語った。
「まさか僕がああいうところで活躍できるとは……。
夢では見ますけど、現実になってうれしい。甲子園で活躍できて感無量。
ストライクは全部打つつもりだった。2死満塁でランナーを返そうと気持ちで打った。
あの打席では、すごい声援を受けて、みんなと一緒に戦っていると感じた。
本当に最後の最後まで皆さんと一緒に心を一つにして戦っていきます。
ここに帰ってくるときは星野監督と共に、勝利の美酒を味わいたいので
応援よろしくお願いします!!」
 わずか数年前、弱小阪神で四番を任されても期待には応えず、だからといって
下位打線でも結果は出なかったような、そんな桧山。星野仙一が就任して一番
変わったのはこの桧山であり、ここに来てチャンスでの強さが開花したのだと、
そう思っている。もちろん田淵と和田豊と云う打撃コーチの働きは言うまでもない。

 なぜか田中秀太と川崎の交錯プレイに対して怒っている方々が居るようだが、
タッチプレーでの立ち位置であれば川崎の守備位置で問題は無かったと思うし、
ピッチャーの投げこんだ場所も悪くはないだろう。
 だがフォースプレイでのゲッツーを狙う場面である。ああいった場合、投手は
ショート寄りに球を投げ、ショートの選手は交錯プレイを避けたままファーストに
送球するのがセオリーである。秀太の走塁線上に立ったまま球を捕った川崎と、
その場所に投げ込んだピッチャーが悪いのであって、やれ守備妨害だ、やれ
タックルだと野球知識の浅薄さをひけらかすのは勘弁して欲しい所だ。大事に
到らなかったのは良かったと思うが、あのプレーが守備妨害となるようでは走塁
などプロアマ問わずに出来なくなるだろう。

 先に阪神が王手をかけたおかげで、少なくとも今夜と明日一杯は満面の笑みで
時間を過ごすことが出来る。プロ野球ニュースのはしごも終わり、あとは寝るだけ
と云う状態である。
 優勝するのはどちらか分からないが、貯め込んだ18年分の歓喜の雄叫びを
上げられる一瞬、私はこれを期待して止まない。日曜日が第六戦である。


2003/10/23 【2勝2敗となりました】
 別に何度も似た事を書くつもりはないのだが、確定した結論を列挙してみる。
 「イメージと違う」と云う言葉を吐く人間はクズである。自分の脳に形成した虚像と
相手からの新情報とに誤謬が生じた事で、想像していた人とは違うと憤慨する。
虚像の補正ではなく拒絶を意味し、排他的思考は狭量さをも意味する。
 言葉の一つ一つを大事にしていない人間が、自己の舌禍に対して「相手からの
許しを待つ」と云う手段を選ぶ。甘え以外の何物でもないのだが、彼らの美意識は
理由を付けてそれを許諾する。格助詞の一つにまで気を配ってなんぼ。

 日本シリーズがとても熱い。まだ何も大きな事は言えないが、笑顔が阪神選手と
阪神ファンの顔に戻った事だけは確実である。
 本日の試合ではラストバッターとなった金本への城島のリードが見物だった。
組み立てとして、どう考えてもスライダーと云う場面で投げられた球は、案の定の
スライダー。それを見事に振り抜いてライトスタンドへの弾丸ライナーとなった。
いや、ほんとに面白い。


2003/10/21 【アナログ】
 「名をかたるだなんて不敬ですよ!」とTVで声を荒げる人に対してこそ、何とも
言いえぬ感覚を抱いてしまう。時代錯誤な憤りと感じている人は少なくないと思う。
有栖川の名をかたった詐欺事件なのだが、騙される方も騙される方だと見えて
しまうのが正直な所だ。
 有栖川と言えば、有栖川某と云う推理小説書きがいるのだが、今は嫌いな作家
となっている。最初の頃の作品である「孤島パズル」や「月光ゲーム」はそれなりに
楽しんで読んだ時代があるのだが、徐々にツマラナイと思い始め、気が付けば
ブックカバーを掛けたままで放置中となっている。
 同じく嫌いな作家としては二階堂麗人がいる。シリーズ物として出てくる探偵役に
蘭子と云う女がいるのだが、巻き毛がどうのこうのと、なぜか読んでいてイライラ
するような無駄な言葉が多い。キャラクターに感情移入するつもりは無いのだが、
どうにも蘭子と云う女キャラクターだけは好きになれない。もっとも、その他の文章
それ自体も好きにはなれないのだが。

 作品によっては「好き」と云う物も多少はあるのだが、買った本の7割以上で
「好きじゃない」と判断してしまった作家、これを便宜上「嫌いな作家」としている。
逆に、一読して「嫌い嫌い嫌い!」と思ってしまったのは清涼院流水だけである。
そういう意味では珍しい作家だろう。


2003/10/19 【甲子園に移動しても何も変わらない】
 「茶でもしばきに行こうや」と電話が入り、何とは無しにミスタードーナツに行く。
注文はダブルチョコドーナツを一つとコカコーラ、後は持ち込みのタバコで長時間、
これがいつものコースなのだが、ふと隣の席に見慣れる物が運ばれてきた事に
気付く。これである→
 天津麺だったのか担々麺だったのかは流石に分からないが、運ばれてきてから
とても美味しそうにジュールジュルと音を立てて食べている一人の女性。以前なら
「大きな音を立てるだなんて」などと思っていたのかもしれないが、今日に限っては
美味そうだなぁとだけ。それくらい気持ちの良い音だった。
 随分とミスタードーナツも変わった。新発売のハムタマゴパイも美味ではある。
だが、ドーナツ屋でラーメンが出てくるってのは明らかに異質だよなぁ。

 阪神タイガースと福岡ダイエーホークス、この日本シリーズに対して色々書きたい
とは思っているが、どうにも気分がすぐれないので止しておく。あまりいぢめないで
下さいな、ダイエーさん……。
 この病の治療法は唯一つ、阪神がここから巻き返す事なのだが。さてさて(汗。


2003/10/17 【能の巴に近々しい能面を以て】
 「男でも掃除と洗濯と料理が出来なきゃダメだよ、一つでも欠けてちゃイカン」
一人暮らしをした事が無い男にはなかなか耳が痛い、そんな女性側が要求する
真実の一つではないだろか。
 私の掃除のレベルは非常に低いらしく、洗濯も雑だと指摘された経験がある。
料理に於いても「いかに手早く作るか?」に重きを置いている為に、どうしても
焼く料理が多くなるのだが、簡単な煮物くらいは十分出来ている。

 今日、昔お付き合いをさせて頂いていた方の料理がいかに不味かったかを、
数年の時を越えて当時を知る友人に語ってみた。
私「これこれこんな感じで作っててさ〜(中略)〜口に入れてみたら能面ですわ」
友「能面!」
私「そう、能面」
 能面状態で、「おいしいよ」と私は言った。そうすると「本当に?」と聞き返した。
もちろん美味いはずがないのだが、タバコを吸う人間が美味を語るのもいかがな
物かと思って何も言えず、出された料理は全て食べると云う男の使命感が、私に
「うん、とても美味しい」と言わせたのである。顔は能面どころか蒼白だったが。
 更には「美味しかったのでお代わりをもらえるかな?^^」とジェントルマン風味で
お皿を差し出していた。心で泣いて、顔で笑っ……えずに、やはり能面で。

 結論。何だかんだ言っても料理が上手い人の方が男女問わず良い。


2003/10/16 【フライデーに抜かれたのが原因らしいが】
 星野仙一が勇退し、阪神GM(=GeneralManager)の役職に就くらしい。後任が
岡田だと云うのには能面を付けなければならないが、とりあえずはご苦労。
 「この時期にそんなニュースを流すなんて」と言うダイエーファンも居る様だが、
青天の霹靂なのは阪神ファンも同じであり、フライデーが空気の読めないスクープ
記事を書かなければ、日本シリーズ終了後に流していただろう。逆恨みは勘弁。

 野村克也がCX系の「すぽると」に出演していた。長打力と肩の力を以て、城島を
矢野よりも上とする解説者や博多のダイエーファン達とは違い、キャッチャーは
その配球にこそキモがあると言い切れるのは流石である。明後日にはその予想の
結果が出ているわけで、非常に楽しみだ。


 PRIDE-GPのヘビー級チャンプと云えば、ヒョードル大帝である。最後のRINGS
チャンプとして君臨した彼が、旧RINGSチャンプであったノゲイラを倒し、PRIDEの
王者の座に着いたのだ。
 しかしノゲイラの評価が地に落ちたわけではない。グラウンドに特化した技術と
スタンディングでのさばき方は今も一線級なのだが、今度のPRIDEではいよいよ
ノゲイラvsミルコ・タイガーのカードが行われるようだ。日本の格ヲタにとっては、
まさしく頂上決定戦であると言って良い。
 ミルコ・タイガー改めミルコ・クロコップは、その昔のK-1でアーネスト・ホーストに
好きにボコられていた印象だったのだが、その空気を読まない戦い具合と、金に
汚い美意識とが、彼の選手としての実力を底上げしていった。今では打撃系の
格闘家としては一級である。ボブ・サップに眼底骨折を負わせた人間、と云えば
思い出す人も居るのではないだろうか。

 前田日明の「ごしゃごしゃ言わんと、誰が一番強いんか決めたらええんや!」が
UWFとなり、それがRINGSとなり、現在の高田延彦や桜庭によるPRIDEのリングで
チャンプとして君臨するのが「他でもない前田の遺伝子」である事は異論などある
はずもないが、対照的に地に落ちつつある格闘技イベントもある。K-1である。
 先日のK-1予選のしょっぱさ具合には目を覆った。フィリオvsステファン・レコが
一番面白いな……などと思いながら、それならば異種格闘技ではなく同一格闘種
での大会を見た方が面白いわけで、何ともモニョモニョする印象は拭えなかった。
今のK-1ならば確実にプロレスの方が面白いのだ。
 「あんなのじゃプロレスの方が面白いよね」とプリオにこぼすと、「人は繰り返す」
と含蓄のありそうな事を言っていた。そうだよなぁ、と思いながらも、世界の荒鷲の
復活に当たって息子の坂口憲二を呼び寄せる陳腐な演出を思い出してしまうと、
昔のプロレスへの懐古も美しくない。目が肥えたと云うのが真相なのだろうが、
何の格闘技を見ても面白さを思えないのは重病である。
 おっと、ノゲイラvsミルコは楽しみだけどね。


2003/10/15 【WGP総括】
 加藤大治郎亡きモトGPを制したのは、イタリア人パイロットのヴァレンティーノ・
ロッシその人だった。二戦を残して総合優勝が決まったのだが、大治郎の同僚で
あったセテ・ジベルナウの奮闘が亡ければ、ドゥーハン一極時代と同じシーズンに
なっていたのであろう。
 そして三連覇を成し遂げたロッシが遂にF1参戦、と云うニュースが流れた→
二輪から四輪と云えば、ワイン・ガードナーやデーモン・ヒルが思い出されるが、
成功が確約されている訳でもなく、ロッシが本当にF1に参戦するのかは疑問だ。
 ただ、地元イタリアメーカーに対して熱い想いがある事も知っている。今年の
第三戦スペインGPだったと記憶しているが、イタリアメーカーのアプリリアで参戦
している芳賀のマシンに、レース後にガス欠になったロッシが乗り込んでいた。
更には、第六戦のカタルニアGPでは、同じくイタリアメーカーのドゥカティで参戦の
カピロッシがドゥカティ初勝利を飾り、まるで自分が優勝したかの様に喜んでいた。
レプソル・ホンダのスタッフの心情は、もしかしたらその頃から穏やかでは無かった
のかもしれない。だが、ゼッケン1番を背負わずに46番を押し通したりと、セナと
HONDAの蜜月のようには行かなかった事だけは事実だ。少し残念である。

 大治郎が居れば、といつまでもため息をついてしまうのは、故人に失礼だろうか。


2003/10/13 【いよいよ、ドキがムネムネしてきました。】
 某モスバーガーの店内で、灰皿が一杯になってしまうくらいの時間をかけて
日本シリーズの予想をしてきたのである。今週の土曜日が開幕戦。

 煽りが大好きなマスコミは、阪神が制する確率が高いだの、しかも85%だの、
根拠も何もない予想を打ち立てている。
 こういった事に対して「勘弁してくれ……」と思っているのは阪神ファンである。
一番避けたい未来は、11月に予定されている御堂筋パレードが、日本シリーズを
制せなかったにも関わらず行われる事なのだ。寒々しい物になったら?と恐がりな
私たちは怯えているわけで、その辺りの気持ちを汲んでくれないかなぁと。

 そんな中でビッグニュースである。濱中がついに復活の雄叫びを上げたのだ。
先発投手力ではダイエーに分がある以上、投手戦の様相を呈すのは旨くない。
乱打線になってこそ中継ぎや抑えで優位に立つ阪神の良さが出始めるのだが、
その時に更にキモとなるのは「代打の厚み」である。
 指名打者制度の開幕二試合はともかく、肝心の甲子園での三戦ではこの代打が
大事なわけで、八木と広沢と関本、そして濱中の復活と云うのが厚みを増した。
故障で戦線を離脱するまでに築いた48打点は伊達じゃない。
 「阪神でホームランを打てるのはアリアスくらいが関の山、百歩譲って檜山かな」
こんな耳の痛い話を吹っ飛ばせる程のニュースだった。やはり濱中が居ないと
今年の阪神を締め括れない。


 来期の中日の監督が落合になったらしいが、野村克也を監督に招聘しておけば
この先10年の中日の未来は明るかったであろうに、と余計な事を思っている。
 阪神の監督に就任した野村は、F1セブンと云う、まず足の速い7人衆を揃えた。
これは彼の野球哲学である、「打撃にはスランプもあり、好不調を考えなければ
ならないが、足の速さには波など無いのだ」が根底に流れた戦力補充であった。
赤星、藤本、沖原、F1セブンの生き残りは今年の優勝の原動力にもなった訳で、
彼の戦力補強は間違いなど無かった事を証明している。
 ところが落合はどうだろう。名球会入りを理由を付けて断り、他の選手との交流も
無く、いざ監督に就任してもコーチ陣すら決まらないと云う現実。読売の堀内も
嫌われ具合では似たような物だが、何とか弘田さんを招いて体裁を整えていた。
だが、落合にはその「何とか招いて」をしてくれる人間すら居ない。
 こんな事は余所のチームの話なのでどうでも良いのだが、OBにこだわる、と云う
野球界に根付く拘(こだわ)りは、まさしく字の通り旧態を脱せない事を意味する。
読売ファンも中日ファンもしばらくは頭が痛そうだ。


2003/10/12 【他人事とは思えない】
 某君の恋愛相談で夜遅くまで話し込んだ。色恋の話は「自虐話」としてでしか
私からはしないのだが、恋愛相談を切り出される時と云うのは、慎重に面子を選択
した上での「実は…」である以上、最後まで付き合うのが友人であり、男である。

 「別れた相手が幸せになってくれたら嬉しい」、こんな事を思っているらしい。
いや、私も最近まで同じ事を抱いて生きていたのだから、他人事ではないのだ。
更には、「別れた相手が不幸なのであれば、私は幸せになる権利が無い」とも。
 結論から言えば、こんな考え方は大きく間違っている。多くの女性は別れたその
時点で相手の事など忘れ去り、逆に男性だけが前段のようなロマンチシズムの
はき出した瘴気に当てられたままなのだ。「思い出に生きる」とは聞こえが良いが、
別れた女性には思い出ではなく、はたまた「そんな人いたかな」と云う真実を
目の当たりにした際に「ショックだよ」云々と憤るのは、はなはだスジ違いであると
言わざるを得ない。
 某君に例え話として出したのは、「別れた人=死んだ人、として考えてみる」
と云う言葉の置き換えだった。死んだ人に対して「幸せになってくれたら嬉しい」
などと言う言葉はおかしく、「不幸ならば私が幸せになる権利が無い」と云うのも、
死んだ人には未来その物が存在しないのであるから、全く以てナンセンスである。
別れた時点でその人との歴史は完全に終了した、と考えなければいけない。

 「一期一会」を男女間にも当てはめている。復縁するならば別れてはいけないし、
別れるのであれば一生連絡を取り合わないと云う形を望む。もちろん、友人間にも
この考え方は当てはまる。覆水を盆に戻して「ハイ元通り」とはいかないのだ。


 ここから先は余談だが、80%以上の確率で某君は騙されている。
 女が別れ話を切り出す時は、別に想う人が現れたか、関係を昇華させようと
駆け引きに転じたかの二通りが考えられ、今回の場合は明らかに前者である。
別に想う人が現れた時、女性は現在付き合いのある人を「キープ君」の立場として
残そうとする。男性とは異なり、常に彼氏が居る状態に身を置きたい、つまりは
「多数の女性は男無しで生きていない」と云うのが現実であり、リスクヘッジの為に
キープ君の存在を脳内で合法化するのである。
 こんな風に男の尊厳を軽んじる行動に対処するには、「男ポイント」を持ち出す
より他に無い。男ポイントとは、私の親友が作った「同性から見てカッコイイ」と目に
映る評価を意味し、引いたり媚びたり顧みたりすると大幅に下がるポイントである。
北斗の拳の聖帝サウザーを思い出せば、そういう事かと納得が出来るだろう。
 つまり、別れたのにメールを送り合っていたり、別れたのにたまに会ったりと云う
行動は、男ポイントが下がる一方だと言う事である。女性からどう思われようとも
構わないが、同性である男友達から「あいつ男ポイント足りねぇよ」と笑われるの
だけは頂けない。ましてや、キープ君など以ての外である。
 一度でも軽んじてしまった自尊心は輝きが鈍り、一度くすんだ輝きは時間を
掛けなければ元には戻らない。今まさに、男として伸るか反るかの正念場なのだ。


2003/10/10 【若きウェルテルの悩み】
 とりあえずはこのURLである→
 身近にこんな人が居た場合、私は全力を以て迫害させて頂く。無碍に権利主張
は出来るのだ、などと歪な考え方をされては周りの人は堪った物ではないからだ。

 他人の趣味にケチを付けるのは良くない、これはスジだけは通っているのだが、
「奇異の目で見られるのは差別だ」と云う声も聞こえ始めると、気分が悪くなる。
 信念や思想と云う物で声を大にする際は、リスク(=責任)も同時に発生するが、
趣味嗜好を言う際にそんな物など有りはしない。リスクを負わない主張など無い
にも関わらず、「人の趣味にケチを付けるのは良くない」などと云う碑文だけが
なぜかまかり通ってしまう。唯の趣味嗜好に過ぎない物で、「傷ついた」や「なぜ
そんな文句を言われなければならないのか?」等を言う権利は付与されない。
いわんや「差別だ」云々になってくると、最早喜劇と変わらないのだ。

 似たような印象を受けた話がコレになるだろうか。
 修習生時代に元号(ex:昭和○○年)を西暦表記で記述しており、それに対して
「元号を用いなさい」と指導があったにも関わらず、依然元号を拒否して西暦を
使用し続けていた事が、「任官した際、被告人に対して押しつけるような物言いを
するやもしれず、それは判事として公平とは言えない」等と云う理由で任官が
拒否されたと云う事件である。
 この裁判を起こしていた原告は「思想差別で任官が拒否された、憲法違反だ。」
と述べているが、仮に憲法に反していても、この原告の任官は如何な物かと思う。
そも、判例の全ては西暦ではなく元号で通番整理されており、便宜上の理由に
於いてもわざわざ西暦にこだわる理由が見あたらない訳であり、原告が過去に
思想裁判に与していた事実を鑑みれば、繰り返すようだが「仮令憲法違反でも」
私は宜しくないと考える。
 判事とは、限りなく中立な立場に居なければならない私人である。それが為に
判事専用の寮が与えられ、外的圧力が無いように日々ガードもされているのだ。
その判事の根っこの部分、即ち思想や思考に相応しくない部分があれば、判事の
職務を続けるべきではない。無知蒙昧な輩の如く陪審員制度の基準を甘くしようと
する流れに棹さす事にしかならないのだ。

 ただ、「俺の趣味にケチをつけるな!」と言いつつブラジャーをしているような
男よりも、法廷で白黒をつけようとするだけ後者の方がまともだと感じている。
事実、リスクを受け入れているのだから。


2003/10/9 【不感症ではなく、閉塞感を覚えている、と読む】
 新しく友達になった人がいる。曰く、万物に於いて目新しさを感じられないと言う。
日々の生活環境への飽きや不快感、若しくは日常に空虚さを感じた時は、私は
非日常を求める事にしている。
 手に取った事も無いような本を読んだり、ぶらりとソロツーリングに出かけたり、
おもむろに旧友へ絵はがきを出してみたり、見たことも無いスポーツを観戦したり。
こういった中から日常にフィードバックされる物事は、有形無形を問わずして、実際
多いのだと考えている。

 私はウィンドウショッピングや飲み会なんて物が死ぬ程嫌いである。見るだけで
買わない、なんてのは「ならば行くな」と思っている。そして遊ぶ事が呑む事なんて
創造力の欠如も甚だしいと思っている。大人になっての遊びとはそんな詰まらない
物ばかりで良いはずがない。
 だからと云って、大人になってから子供時代の遊びを繰り返すのも美しくない。
ラジコンやベーゴマやカード集めに走っている大の大人には目を覆ってしまう。
子供時代に友達とは遊ばかなかったのか?と。

 ちなみに私が勧めたのが「イシダイ釣り」と「ガンプラ作成」と「富士登山」。そして
「公園デビューできずにマゴマゴしている主婦ウォッチング」と来た日には、何も
参考にならなかっただろう。とっさにはなかなか思いつかない物である。根底に
流れる物は「男臭い遊び」だろうか。
 その線でもう少し考えてみる。「爆竹をカエルのお尻に突っ込んで爆破させる」、
「木をナイフで削っての剣作成」、「トタン板などで作られる秘密基地」、「懐中電灯
だけを持って出かける下水管の旅」。こ、これは男臭いと云うよりも、子供時代に
私が遊んだ内容ばかりではないか……。これはダメ過ぎだな(汗。

 私の10年以上も前からの夢は、アラスカにオーロラを見に行くことである。非常に
お金と手間と時間のかかる遊びの延長だが、TVカメラなどでは映らない微弱な
光の幻影がそこにはあるらしい。もう一つはオーストラリアをバイクで横断するのが
夢である。北海道以上に拡がる雄大な大地を駈ける鉄馬、このシチュエーションが
最高に心地良いと聞く。
 ――そうか、大人が非日常的な遊びを味わおうとするならば、まずは金なのか。
こんな形で現実に引き戻されるのは、いささか世知辛い……な。


2003/10/8 【わたし、分かっちゃったんですけど……犯人】
 こんなサイトがあるらしく、途中で面倒になりながらも、最後まで回答してみた。
その結果――
・人生における恋愛:もうアツさの込み上げてこないオトナになったのですか?
・自己犠牲の精神:都合のいい人にならないように。
・駆け引き:相手に気持ちをぶつけるよりも、主導権を握ることにいつのまにか
終始して、いつのまにか恋愛を終えたりしていませんか?
 な、、何か酷い事を言われているような気がする……。他にも色々と書かれて
いたのだが、どうにもこうにも「ひぃ」と云う部分が多い。ただ少しだけショックな私。
当たっている、、、よなぁ(汗。

 それはそうと、「ケイゾク」である。土曜日に猛烈に見直したくなっていたのだが、
ふと深夜放送を聞けばパーソナリティも「ケイゾク見ちゃったよ」と言っていた。
これも何かの縁と、現在一話からゆっくりと見直し中なのである。
 中谷美紀の演じている役のイメージと服装が、少しだけ何か胸の引っかかりを
覚えるのが嫌だ。以前のサイトで公開していた日記に「読めない推理小説がある」
と書いた覚えがあるが、どうやらその人と共通しているようだ。トラウマだろう。

 ちょっとタイプを中断して、一番上のサイトの結果の貼り付けあいをしていた。
恐るべき事に、まだ年若い某アキヲ君はとんでもない結果だったようだ。
「(前略)壊れています。(中略)衝突を生みます(結論)まず聞く耳を持ちましょう」
どこが屈折してるんだー!と叫んでいたが、残念ながらそこかしこが。
 何か意地になったらしくやり直したようだが、そこで出た結果も「中学生」から
「下手くそ」に変化しただけと云う始末。ふふふ、お互いに大変だねぇ(笑。


2003/10/7 【神様もう一度だけ】
 読売の原監督が、本日の甲子園戦を最後に引退となった。茂雄の馬鹿馬鹿しい
セレモニーと比べれば、今日のそれは巨人ファンは元より、阪神ファンにも感動を
呼び込んだ事と思う。ドロドロとした読売内の諍いの犠牲者と云う感の強い原に、
1992年のヤクルトにしたような事はとても出来ない。
 それを以て「阪神ファンも成長した」「意外と大人だ」と云うのは間違いである。
プロの世界に浪花節を持ち込んでいる、お祭り好きの人達に過ぎないのだから。
冷静に自分を見つめれば解答はこうなった。

 オンフック、リダイヤル、「大変混み合っておりま(ブツッ)」、リセット。早い話が
日本シリーズの電話チケット予約なのだが、繋がる素振りもなく、取れる気配が
しなかった。チケットぴあ2000枚、ローソン9000枚とか何とか噂では聞いたが、
「私だけは取れるだろう」と云う甘めの観測は木っ端みじんに打ち砕かれる。
 西暦の偶数年度はセ・リーグが開幕の二試合、そしてパ・リーグの三試合、
また移動してセ・リーグの二試合を行う。今年は奇数年度のために開幕は九州の
ドームで行うのだが、真ん中三戦の甲子園のチケットが取れないのである。
何でも、予約権利だけをyahoo!オークションで販売している人がもういるのだとか。
い、、、いいな、、、(汗。
 次の予約販売は11日。神よ、少しだけ運を前借りさせて頂きたく。

 ハワイのジャンクフード屋のハンバーガーを食した。オーストラリアでチェーン化
されているその類の店は、パサパサの大味で「勘弁してくれ」な味だったが、
ハワイのそれは多少ジューシーだった。
 しかし、馬鹿のような大きさは如何な物だろうか。一つで一食分程度の大きさで
途中で飽きると云う始末で、値段も安くは無いし、店自体も非常に混んでいた。
こうやって出てくるのは文句ばかりだが、オゴリでなければ行かなかっただろう。
正直、二度目は無いなぁ。


2003/10/6 【そういえば谷津吾朗ってドカベンプロ野球編に出てないねぇ】
 阪神ファンだけに許された遊びの中に、大ボラを吹くと云う物があった。主にオフ
シーズンにだけ行われるのだが、内容はこうだ。
 「藪で20勝、井川で25勝、伊良部で15勝、下柳で15勝、久保田が復活で20勝、
ムーアも完全復活で20勝、安藤も先発転向で15勝。おお、130勝10敗やんけ!」
「檜山が56本で150打点やろ、ジョージが70本やろ、濱中が復活して60本や!!」
 こういった夢物語で少なくとも4時間は遊べたのだが、今年に限っては遊べない。
6位と云う定位置だからこそ遊べた自虐的な肴だったのだ。

 「来年も優勝すると思いますか?」
 こんな質問をダイエーファンにしたところ、7割の人が「連覇するだろう」と答えた。
しかし同じ質問を阪神ファンにすると、わずか3割の人だけが「連覇」と口にしたに
過ぎなかった。謙虚さ6割、恐がり3割、照れ1割、心情の内訳はこの辺りだろう。
やはり、私は弱い阪神も好きだし阪神ファンも好きなんだよなぁ。
 ちなみにその質問に「連覇」と答えなかった阪神ファンのほとんどが、次回の
優勝は20年後だろう、と答えたらしい。こんなファンの人達と20年後にも一緒に
喜べるのが、阪神ファンとしての幸せだよなぁ。愛すべしだ。


 最近特に楽しいのが、年上の南海時代からのホークスファンの人と野球論議を
する時間である。その中で得たプチ知識が一つある。
 ドカベンと云う漫画で、横浜学院の投手土門が明訓高校にスパイとして送った
捕手が、谷津吾朗だった。山田太郎に密着して様々な癖を盗み、チーム事情の
全てをメモしたノートを作成する。今で言うスコアブック+アルファなのだが、見事に
里中に対する山田の信頼具合を読み切った谷津が、地区大会で里中−山田の
バッテリーからホームランを打つのである。ここに「山田メモ」は完結を見る。
 こんな事は原作第36巻を読めば容易に分かるが、この「山田メモ」の元ネタが、
昔からのプロ野球ファンの中では有名らしい。それは当時毎日新聞の記者だった
尾張氏に南海ホークスの選手であった野村克也が依頼し作成されたメモである。
すなわち「尾張メモ」と云う物が存在したのである。これがスコアブックの始まり、
と云う経緯には、正直な話、私は少し感動を覚えた。
 他には、クイックモーションを開発したのも野村克也だ、と云う話も有名である。
当時阪急ブレーブスで毎年の如く盗塁王であった福本豊を走らせないがために、
普段と違う素早いモーションでの投球フォームを作ったのである。野村克也をして
今のプロ野球があると云っても過言ではない。


2003/10/5 【サンマは目黒にかぎる】
 クワバタオハラの小原正子と、TommyFebruary6の川瀬智子を足して2で
割ったような人を見かける。身長は170cm以上である。いいね。

 先日、またもや叱られつつも救われると云う過程を踏んだのだ。
キング「くっだらない事だと自覚していながら言った発言に対しても、諸手をあげて
笑っている様な女はダメだ。ポイだ、ポイ。」
わたし「そうなのですか」
キング「あとはな、人の目を見て話さない女は信用すんな!。そして、必要以上に
視線を合わせようとする女も信用すんな!!」
わたし「ちょっとそれは難しゅうございますが、、、?」
キング「うるせー、ダマレ。カスッ、ウジ虫ッ!」
わたし「ひぃ、、、」
 とまぁ、マゾ気質が無ければ耐えられないような罵詈雑言の嵐を身体一杯に
浴びて、太陽さんさん光合成な気持ちになるのが私である。変態と蔑んで頂いても
一向に差し支えは無い。

 その話の途中でご指導して頂いたのが以下の内容である。
キング「何だかんだ言って、背の低い女が好きなんだろ?言ってみろよ、あ?」
わたし「うーん、、、」
キング「否定できねぇんだろ?分かってんだよ、んなことはよー。バカがっ」
わたし「はい、、、」
キング「一回しか言わないからよく聞けよ、ダボ」
わたし「、、、」
キング「小さくて愛嬌が良くてよく笑う女はダメだっつーの」
わたし「つまり、、、背の高い方がよろしいので?」
キング「んなの知るかよ。ドアホウ」

 こんな話が昨日あった上での本日の収穫が、冒頭の一文なのである。
 しかし、アヤシイお店の呼び込み嬢だったってのは如何な物だろうか。そもそも、
日曜日にどの辺りをほっつき歩いてんだテメーは!、と云う分類の話でもある。
私が見つめるべきは、まずはその辺りなのだ。チーンと合掌。


 それはそうと、めっきり無言電話の数が減った。このサイトを見ていて、尚かつ
私の家の電話番号を知る人の数は少ないが、もしもその条件に該当する人が
電話を掛けてきてくれているならば、番号を通知して頂けると心より嬉しく思う。
 無言電話とは怖いものだ。「誰からの電話だったのだろう?」と云う疑問が、
「あの人からの電話であったら良いのに」と云う願望に置き換わる逢魔刻がある。
心の隙と云っても構わないが、こういった瞬間の訪れほど怖い物は無いのだ。
なぜならば、全ての理屈を吹っ飛ばして判断に走る瞬間を意味するからである。
 他には饅頭も怖い。吹田の方にあると評判の饅頭屋のそれが特に。イチゴ大福
のようでいてトロケルような味わいと噂に聞くそれが今一番怖い。いやマジで。


2003/10/4 【足る】
 以前、すさまじく頭の悪い女が居た。「一度でも頭の良い女なんていた?」などと
言葉に窮する問いは却下するとして、まぁその頭の悪さは折り紙付きだったと。
こいつは本当にダメだと云うきっかけは、「あんたのプライドは虚栄だよ」と云う
意味不明の言葉を吐いた時だった。混同のしようが無い場所に存在する二つの
言葉であるにも関わらず。
 私は痛快な自負心(=プライド)を持つ人間が好きなのであって、虚栄心が垣間
見える人間を毛嫌いしている。そしてプライドが感じられない人間には何も語る
言葉を持たない。
 誰もがこうして知人を分類しているのかと思っていたが、どうやらそうではない。
そんな事を最近になってようやく気付いた。近頃の日記の言葉に頻出している
「虚栄」と云う言葉の正体は、私がこの言葉に足りた事を示す。

 分からない事が生じ始めた時に、「それはこういう事なのだ」とナタで叩き切って
くれる人がいる。私よりも上質な思考回路を持つ人なので、いつも助かっている。
だが、「へいへいへい、何が有ったのか言ってみなよ。へいへーい。」とフランクに
聞いて来られ「実は……」と切り出した日には、本当に困った時に頼れなくなる。
私に於いては自己解決出来る部分はしないと。


2003/10/4 【切ないね】
 以前UOと云うゲームでとあるギルドに属していた頃の話。
 私はそのギルドのGM(=GuildMaster)の人間性を軽蔑していた。露見し続ける
虚栄心と、言わなくてもな事や聞かなくてもな事をベラベラと語る口舌と、どうにも
回転の悪い頭と、三拍子がそろい踏みしていた。
 もちろんGMだけではなかった。女子校のノリで繰り広げられた悪口大会に参加
している人達、自分の意見が取り入れられないと拗ねる幼稚な人達、水腹を突く
ような事を言って悦に入る人達。「まとも」と思えた人間はわずかであった。
 よく聞かれる言葉に、「ネットだけで人間性など分からない。リアルじゃないから」
などと言う物があるが、これは自分の頭の程度が知れる言葉である。彼らの論は
「ふとした表情や仕草などから、言葉以上の情報が分かるから」と云う物だが、
ネットであろうとリアルであろうと、コミュニケーションで用いる物は言語であり、
即ち「言葉」に於いて他ならない以上は、「リアルで人となりが分からない人間が
ネットで分かる訳が無い」と逆説的にも言えるし、「ネットでも分かり得る部分は
多数ある」と云う私の論旨を否定するには当たらない。
 つまり私がネットから感じたそのGMの人となりは、ヒエラルヒーの最下層を担うに
相応しい者だったと云う事である。そして「まとも」とは思えなかったギルドメンバー
の多くも、そのGMと大して変わらないと判断した。

 「足りない人間は最後まで足りない」、これが今日思ったことである。
虚栄心を糊塗したつもりで表出していると云う、人として最もみっともない姿を想像
出来るに到り、それを男気で応援する愚物と、生涯何も考えないであろう白痴が
淡淡と遂行していく。
 私はただ切なかった。どうでも良いことなのに切なさだけは到来し、懐かしさが
去来した。ふふん、万事こんな物さ……。

 今日の意味不明の日記は、同じ環境に居た極数人にしか理解出来ないと思う。
そして私はこうやって切なさを表現するだけである。


2003/10/2 【一念岩をも通す】
 過去に於いては、私自身にもそんな時期があったなと自覚がある。しかしながら
薄らみっともないと云う事に思い至ってからは、一切そんな部分を排除してきた。
すなわち「構ってちゃん気質」である。
 言葉足らずに悩んでいる事を態度に示し、何をかと問われ「何でもない」と返す。
涙の一つでも浮かべて演技をすれば誰かが慰めてくれると計算し、その姿を見て
満足げに微笑みつつも、「私の事は誰も分かってくれない」と言う。
 構ってちゃん気質を有する者の心を唯一満たすのは、様々な甘い言葉を投げて
貰いながらのナルシシズムに基づいた陶酔気分のみとなる。クズ達を増長させる
引き金となるのは甘い言葉なのだ。

 絶対的サンプル数の少ない決め打ちだが、この気質を多く持つのは女性である。
男性でこの気質を持っている人間は醜悪の一言に尽きるが、女性に於いても
大差はない。ただ、馬鹿男は「ヘルプサイン」と「構って光線」の違いが分からない
と云うのが正直な所であり、傍で見ている立場の人間にしてみればイライラする
心を隠しようがない。勘弁してくれ。
 最近ほんの少しだけ成長したと世間で評判の私だが、ようやく構って光線を出す
人間に対して憎々しげに見ることも覚えた。ふふ、更に成長しちゃったな、これは。


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