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2003/12/31 【白い巨塔の感想】
 私は再放送で1978年度版白い巨塔を見ていた口なので、2003年度版のそれは
期待半分で懐疑半分だったと思う。貯めに貯めた前半十話分を全て見終わり、
シリーズ後半を残しての評価めいた物をば。

 まずは助教授の財前五郎役。前作は伝説にまでなった田宮二郎だが、今作は
唐沢寿明が演じている。人間味を描きすぎた感がある田宮財前だったが、唐沢の
それはドライさを浮き彫りにしていて、「これはこれで良いね」と思えた。欲望と野心
を見事に演じきった上での肉付けは役者の仕事であろうから。ただ、唯一難癖を
付けるならば、煙草を吸うシーンが少ない。このままでは半落ちになる。
 次に助教授の里見修二役。映画版の田村正和の兄さんも評価が高いのだが、
私はやはりドラマ版の山本學(以下は学)が好きだ。この山本学の演技の良さは
「財前のアンチテーゼ」として、木訥(ぼくとつ)さと純朴さを演じきった事である。
野心や欲望の一切を排し、その上で優しさを味付けしたのが山本学だったが、
今作の江口洋介の演技は、肉付け部分の木訥さや純朴さが足りないのである。
「風潮に逆らう助教授」にだけ見えてしまい、山本学が演じたような「どこ吹く風」に
見えてこない辺り、最大のミスキャストは江口洋介だったのかもしれない。
 そしてクラブママのケイ子である。前作は太地喜和子だったが、今作は黒木瞳が
演じている。女子医大中退と云う「脱医学界の女性」であり、財前の愛人であり、
浪速大学の教授や医局員が集うクラブのママであると云う役所が、ケイ子である。
非常に重要な役所で、インテリさと妖さが同居していなければならないのだが、
黒木瞳がいかにも安っぽく、知的さの欠片もなく、場末のママとして目に映る。
太地喜和子の演技と比較するのは酷かもしれないのだが、あまりにもな安っぽさ
はどうにも興醒めしてしまうのだ。安っぽくて良いならば川島なお美でも良かった。
江口洋介以上のミスキャストと言い切れる。
 前作よりも良い配役だと思えるのは、鵜飼教授役の伊武雅刀、岩田重吉役の
曽我廼家文童だけかもしれない。他の配役は前作と変わらない水準、若しくは
違った一面を見せていると云う感じだろうか。西田敏行や矢田亜希子などが特に
良い演技だと思う。

 リメイク版の今作で最も宜しくないのは、大阪弁を操る俳優の少なさである。
浪速大学とは大阪大学を指しており、前作では7割方が大阪弁を操る俳優で固め
られていた。田宮二郎に於いてもネイティブな京都弁を随所に用いていたのだが、
今回の配役陣はその殆どが標準語を操り、大阪弁の俳優は僅かしかいない。
ツッコミ所満載な西田敏行の偽大阪弁が本物に聞こえる程に役者が少ないのだ。
 京大や東大に及ばない部分もあるが、だからと云って日本有数の国立大医学部
と云う自負はある。そんな微妙な位置の大学だからこそ「白い巨塔」は成り立って
いる訳であり、だからこそ阪大をモデルにした浪速大学なのである。標準語の俳優
を並べすぎたのは、最大の演出の失敗と言わざるを得ない。


2003/12/28 【アメザリの壁】
 何となく総評をば。
 予選。
・千鳥…エロなネタを選んだ時点で減点だろう。そもそも漫才として体を為しては
いなかったと思うが、これが芸風と言われれば「そうか」とも。
・麒麟…ツッコミがダメ過ぎ。弱いと云うよりもダメ。シモネタ最悪。
・フットボールアワー…去年よりも成長していない。ティーアップ化していくのか?。
・笑い飯…選ぶネタ次第でWボケの生死が決まるので、今日は良かった方だろう。
・2丁拳銃…キレイにまとまった漫才ではあったと思う。上方お笑い大賞の実演を
見ているかのような華の無さだった。ネタが。
・スピードワゴン…歌ネタは原始的なのだが、このネタは上手くまとまっている方
だとは思う。ただ、漫才ではない。
・アメリカザリガニ…終始空回っていた。一度浮き足立つと客は敏感に雰囲気を
察知する物で、彼らは一番嫌な汗を舞台でかいただろう。応援していたが残念。
・りあるキッズ…いとしこいしの漫才を見ているかのような、誰をも傷つけない王道
漫才だった。メガネの子が途中でいきなり焦りだし、ネタを壊してしまっていた。
・アンタッチャブル…敗者復活枠。某ラジオ番組でよく知っているだけに、愛情を
持って見てしまうので、私は客観的に判断できず。舞台声は良いのだが、聞き取り
にくくなってしまってはダメだろう。2丁拳銃とネタが被った割にそつなくこなした。
 決勝戦。
・笑い飯…ややネタ選びに失敗。
・アンタッチャブル…勢いも過ぎれば臭気を放つと。山崎はもう少し落ち着くべき。
・フットボールアワー…ネタ選びで減点。昨年の方が面白かったように思うが。

 審査員に南原清隆が居た時点で驚いた。古の番組、お笑いスター誕生の頃から
滑舌が悪い芸人だったが、当時から非常にツマラナイままなので嫌いなのだ。
南原を入れるくらいなら、来年からの審判は中田カウスだけで良い。


2003/12/25 【寒いのやら暖かいのやら】
 ようやくラスト・サムライを観た。面白い、面白くないと、意見が真っ二つらしいが
私にとっては非常に面白い映画だった。「いかに死ぬか」と、私はその瞬間まで
考え続けるのだと思う。そして訪れた時に「どう生きたのか」と考えるのだと思う。
 武士の美学とは江戸時代によって完成を見たが、その最たる物は武士の死生観
であった。名は体を表すと云う言葉があるが、私はこれを「名前を付けられると云う
生後初めての呪咀」と、一面的な見方で片付けていた。他人に名を辱められれば
若しくは自らが名を辱めれば死を選ぶと云う、名誉から生じた美学も同居している
のではあるまいか。
 しつこいようだが、気位と見栄の差を解せない白痴さんも社会には居るので、
名誉云々の話は人に言わない方が良い。死生観も然りである。

 映画「セヴン・イヤーズ・イン・チベット」を現在TV東京系で放映中である。中国
政府による現在進行形のチベット人大虐殺の歴史を描いたハリウッド作品である。
中国が現在に於いても行っている残虐非道な行為を、日本では報道するどころか
触れることすら出来ない。「南京で20万人日本軍が虐殺した」などと云う事実無根
の捏造ではなく、確実に100万人以上が殺されてきたと云う歴史の暗部である。
 歴史の教科書改訂にうるさい二カ国があるが、チベット史とモンゴル史の殆どが
教科書から抜け落ちている事を早く気付くべきだ。近世部分が白紙ではないか。
チンギス・ハーンと四人の子の記述しか述べられない世界史は片手落ちなのだ。


 アイ・シールド21なるアメリカンフットボールの漫画を読んだ。未経験者の主人公
がランニングバック(=RB)として活躍すると云う内容である。
 あしたのジョーでボクシングジムに通う人達が、スラムダンクの連載でバスケット
部員が、空手バカ一代で格闘技人気がと、スポーツ漫画が好評を博すことで
そのスポーツ競技に人が集まってくる。キャプテン翼を読んで現在セリエAの選手
として活躍するイタリア人が居る程である。
 そこでアイ・シールド21である。私はRBと云うポジションを知らないので何とも
言えないが、この漫画ではアメリカンフットボールのオフェンス(=攻撃)の面白さ
を描いているように見受けられた。だが経験者の多くは言うのである。
「やっていて楽しいのはディフェンスだよな」と。

 先日法政vs立命館の学生日本一を決める甲子園ボウルがあった。十数年前
とは違い、現在は西高東低の時代が続いており、戦前から「リッツ(立命)優勢」
の下馬評で占められていた。そして結果は6-61と云うリッツ圧勝で終わる。
昨年のスーパーボウルでもそうだが、攻撃力が高いチーム同士の戦いでは、
ディフェンスの良いチームが勝つのである。
 このアイ・シールド21と云う漫画が気にくわないのは、作者の視点がオフェンスに
偏って推移しており、ディフェンスの面白さが描かれていない事なのである。
恐らくだが、作者は経験者ではなく観戦者ではないだろうか。こんな漫画を読んで
アメフト部に入る人達が増えるのは何とも苦笑いなのだ。
 私達は二部ながら関東リーグに参加していたので、法政頑張れと応援していた
のだが、あまりの酷い点差にショックを受けたのも事実である。第一クォーターしか
見られないってのはどういうこった。(´・д・`)


2003/12/23 【耳に入った嫌な話】
 兄の部屋の賃貸料がやけに安く、その理由を聞いてみたら血の気が引いた。
前の入居者、その前の入居者共に、一家で無理心中をした部屋だったらしい。
それは流石に怖くない?と聞いてみれば、「安さには代えられんし」と。
 遺伝子レベルに於いても、成長の仕方に於いても、趣味などに於いても、私とは
全く異なる兄弟である。そして「全く」が意味する通り、私には無い霊感なる物が
備わっている。訳の分からない鎧武者を見たり、人魂を見たりと、霊感がある事で
様々な不利益は被っているらしい。
 血の繋がりと云う意味で除けられるのは平家の落ち武者幽霊程度なのである。
平の名字ではないものの、私の家は平家の血を受け継いでいる。故に落ち武者の
幽霊で出てくるのは戦国武将であって、平家のそれは恨まれる筋合いではない。
更に言えば、心中をさせる幽霊が落ち武者の可能性はかなり低いだろう。

 「まだ部屋で幽霊を見ていないし」などと悠長に構えるよりも、変事が起こらない
内に引っ越しを考えるべきだと思うのだが……。


2003/12/19 【大寒波】
 空気がピーンと張りつめた事を、如実に感じられるのがバイクの良さである。
もちろん四季の訪れのどれをも走行中に感じられるのだが、中でもこの時期の
ウェアやグローブ越しに皮膚の感覚が失せていく瞬間が堪らなく好きである。
「あぁ、生きているな」と生を再確認できる。四つ輪乗りには分かるまい。


2003/12/18 【着メロは蝶野のCRUSH】
 決め打ちと云う言葉がある。「少量をかじった程度で全てを見通したかのような
物言い」を意味し、それが事実に即している事も多々あれど、あまり褒められない
事とされている。一を知りて十を足るなど、人の身では不可能だからだ。しかし
見通せる物に関しては十を知る時間は無駄とも言える。この辺りのバランスは
難しい。
 この決め打ちと似て非なる物として「知らないのに知ったような物言い」があり、
それは知ったかぶりと呼ばれている。可愛げのあるそれは「法螺」と呼ばれるが、
可愛げの無い物は非常に憎憎しい。
 そして、先日この可愛げの無い物言いをされて少々私は苛ついているのである。

 晦日の格闘技の話をしていたのだが、その面子の一人が前田日明バッシングを
始めたのである。ただの叩きであれば、聞くべき部分は聞いて反駁が有るならば
それを加えるのであるが、叩く際に用いられた文言が許し難い物だった。
「前田?。偉そうに言ってたけど何がセメントだよ。弱いよ」
怒りに震えながら、必死に落ち着きを取り戻しながら、やんわりと反駁を加える。
「たとえガチの試合が一割以下だったとしても、コピィロフやハンと五分に演じた
姿を見ていて、弱いってのは出てこないけど」
 更にその人(仮にA氏とする)の放言は続く。
A氏「桜庭だってどっちらけだよ。強くもないのに」
私「ターザンが煽ったグレイシー神話の幕を下ろしたのは、サクじゃないですか…」
A氏「グレイシーに勝ったとは言えない」
私「四勝もして足りないってんですか!」
拳を固く握りしめつつ、(知らんのやったらその汚い口を開くなや)と熱さをかみ殺し
つつ、努めて冷静な受け答えに終始した。
 格闘技やプロレスに付いて興味が無い人は、そもそも何も言わないだろう。
そして多少なりとも知っている人ならば、或る程度の理屈付けをしてくるだろう。
しかし、今回のようにほんの少ししか知らないのに批判をするのは頂けないし、
知識の間違いを指摘をしても言い返されるに至っては、私も苛つきを禁じ得ない

 例えば高田延彦に於いてもそうだ。よく高田延彦を「光速タップ」や「ノブタップ」と
言って私も馬鹿にはしているが、高田引退試合の花道で入場曲であるTRAINING
MONTAGEが鳴り始めた時、何故か目頭が熱くなって涙してしまった人達だけに
高田を馬鹿にする権利を付与して欲しいのである。高田をよく知らない人達には
私は馬鹿にして欲しくないのだ。前田日明とのハイキック合戦、そして元横綱の
北尾戦などで確立したハイキック伝説。そしてグレイシー戦の完敗。それらを全く
知らない人達が高田を馬鹿にするのは許せない。


 少々話は飛ぶのだが。
 田村がUWFのテーマ曲で現れた時も、橋本が新日ラストマッチで爆勝宣言と共に
花道を歩く姿も、8月のPRIDEでTKremixのSPEEDでサクが登場した時も、目から
熱い物がこぼれ落ちた。私は闘龍門やWWEやW-1などを見る気が起こらないが、
それらを見ている人達に、「入場曲が鳴っただけで涙腺がゆるむ人」は果たして
いるのだろうか。
 プロレスは凋落の一途を辿っているが、マスカラスのSKY HIGHが鳴り響いた
だけでドキドキ出来たあの頃のような、ワーグナーのワルキューレの騎行で組長
が颯爽と登場したあの頃のような、そんな「入場曲とドラマの一体化」が欲しい。
数十年後ふとした時に或る曲が鳴ったとして、直ぐさま当時を思い出せるような。
 今年の大晦日のPRIDEで、坂田戦にもし前田日明が入場曲「キャプチュード」で
登場したら、少なくとも私を含めた数千人は泣いてしまうだろう。ドラマ性とは
つまりはそういう事なのである。


2003/12/15 【久しぶりに食ったカレギュウの味の濃さが何とも】
 何時に猪木祭が終わっても良いように大晦日の宿泊先を押さえた矢先、ミルコが
件の神戸イベントに欠場の話が決定した。魅力半減な以上、チケットは取らない。
くそう……。

 法務省が法定刑の引き上げと、刑事訴訟法の時効期間延期をを打ち出したが、
それよりも先に刑務所を増やさなければ懲役囚の入る場所が無い状態にある。
片手落ちにならない為にも同時進行で話を進めて欲しいものだ。

 他人に向けたメッセージをすわ自分宛か?と思いこむ事とは勘違いを意味する。
私の場合には多々あることなのだが、高じれば何かを壊す事にもなりかねない。
重々気を付けなければ。

 広末涼子が出来ちゃった婚をするらしいが、これはどうでも良いのだ。問題は
某プロ野球選手(以後Tと仮称)と結婚した某柔道家の方である。
 Tはパ・リーグで10本の指に入る打者であるばかりか、3本の指に入る外野手
である。イチローや新庄の守備力が褒められる事も多いが、Tの守備も芸術である
事はプロ野球ファンが知る事実であり、年俸2億円がそれを裏付けている。即ち
欲しがる球団は引く手あまたであり、言い寄ってくる女性も多数居るのである。
それが何故アレを選んだのか……。「何かの罰ゲームだったのだろう」と云う噂が
絶えない今回の顛末である。
 ちなみに友達連中の間では、某柔道家は「逆アイドル」として有名である。
電車や地下鉄等で理由無きままに下半身が反応してしまう事が男にはあり、
そういった時には無関係な事を必死に考えて血を散らそうとする。犬が糞をする
シーンを思い浮かべたり、お経をそらんじてみたりと、痴漢と思われない為に行う
手段は様々だが、逆アイドルを思い浮かべる事が最も効果的である事は高校時代
には既に確立していた共通認識である。その最右翼として数年に渡って君臨して
きた某柔道家の結婚なのだから、男達が変に騒ぐのも無理からぬ事なのである。

 大捏造であり歴史の大改竄でもある「南京大虐殺」であるが、中国の学者の
新発表では「当時の南京の人口は50万人だったことが新しく分かった」とのこと。
日本のマスコミは日中国交正常化の際に「中国に付いて悪く書いてはいけない」
等の謎の規定を結ばされており、今に於いても不都合な記事は握りつぶされる。
頃合いはもう十分だろう。いい加減撤廃して欲しい物である。


2003/12/13 【初雪】
 私は基本的に出不精である。これを十分に認知している人間は狡猾に私を騙し
外に連れ出そうとするのだが、今日ほど豪快なそれは味わったことが無い。

 「昼ご飯を食べに行こう」という誘いに対し、「あぁうん。嫌じゃないんだけどね」と
どっち付かずの回答ではぐらかしていると、知らぬ間に決定事項となってしまう。
京極小説の関口君のような態度が私のデフォルトだから、困った物だと思う。
 とりあえず車に乗り込み、GSでガソリンを入れて走り出す。いつまで経っても
昼ご飯が食べられそうな場所に入らないので不審に思っていると、見たことも無い
ような道に入り、どんどん速度を上げる作戦に出始めた。
 「どこに行くつもり?」と恐る恐る問うと「雪山に」と答えた。私はドアtoドアの感覚
を持ったままで車に乗った訳で、Tシャツの上に厚手のパーカー、ニット帽のみの
状態である。「マジで?」と泣きそうになって問い直すも、無言でカーナビをいじって
人の発言を無視していた。

 数時間後、樹氷を発見。


 「うぉー。すごいねぇ」と言われるも、私はただ震えるばかりであり、早くお家に
帰りたいと心で叫んでいた。人を騙して雪の中に連れてくるだなんて……、とも。
私が生を受けてから、今までに雪を見た回数が10回程度だと思う。それほどに
南国で育ったわけであり、下準備も無しに雪山だなんて発想は遭難希望者かと
突っ込みたくもなる。もう二度と騙されたりはしないと、固く固く心に誓った。

 小さな雪だるまを作ってご満悦だった事は内緒である。


2003/12/10 【今日現在の格闘技界情勢】
 長州力が旗揚げした新団体であるWJが盛り上がりも無いままに落日を迎えて
いるのだが、新日本プロレスを出て長州のWJに参加していた佐々木健介が、
先日の新日本プロレスのリングに殴り込みをした。
健介「俺とやりたいのは誰だ!」
永田「今さらてめえが戦うとこなんてねえ」
こんなやり取りがあっても、恒例となっている1月4日の東京ドームの興業で、
早速健介vs永田の試合が組まれている所がいかにもダメである。分かりやすい
シナリオは、新日の昔からのスタンスではあるのだが、どうにも笑ってしまう程の
陳腐さが漂い出すと如何ともしがたい。
 全日本プロレスとWJのどちらが先に倒産するかと云うマッチレースの中、着実に
客数を伸ばしているのは橋本と小川直也のZERO-ONEである。私は小川最強説を
友人間に唱えていたこともあり、彼の成長を期待して止まなかったのだが、何とも
小さくまとまってしまってからは見なくなっていた。ところが新日本の選手層が
しょっぱくなり、全日本は崩壊し、WJが「ど真ん中」と書いた裏路地をひた走ると、
客は相対的にZERO-ONEと三沢や小橋のNOAH(ノア)しか選べなくなった次第
である。アメリカンプロレスの一つであるWWEが好評を博していたが、同質の匂い
が漂うZERO-ONEが生き残ったのは気分が悪い。過ぎたアメプロ臭は嫌いだ。

 他の大きなプロレス団体と言えば、K-1、PRIDEなどがある訳だが、大晦日に
紅白歌合戦の裏としてその対決がある。
 K-1は元横綱である曙と、最早商品価値がガタ落ちなボブ・サップを闘わせると
打ち出した。他にも元極真王者のフィリォや元K-1王者のアーネスト・ホーストを
出場選手として掲げているが、客に「見たい」と思わせるカードが一つも無いのは
飽きが来ている証拠だと思われる。須藤元気は面白そうだが、他に魅力が無いと
客足は遠のくだろう。
 PRIDEは「男祭り」と云う副題を付けた。これはアントニオ猪木のセンスか?と
思わせる文言である。元柔道王である吉田と格付けが終わったはずのホイス・
グレーシー戦が、正味のガチンコが見られそうではあるが、他が全くの未定であり
まだ判断は出来ない。桜庭は出ると言っているのだが、相手が決まらなければ
客足は寄りつかないわけであり、予定選手として名が挙がっているノゲイラや
ドンフライ、シウバらをどう活かすのか。
 そしてもう一つ、不定期で打ち上げられるアントニオ猪木の「猪木祭り」がある。
例年であれば「もう安田はいいってば」や「藤田の相手をちゃんと決めたれや」と
思いながらTVを見ているに過ぎなかったのだが、今年は少々様相が異なる。
ミルコvs高山のみが確定カードとしてあり、「今年は各団体の選手の取り合いで
ちょっと厳しいかなぁ」と思っていたが、ここに来てUWFと北斗の拳を愛する男の
ジョシュ・バーネットvsシュルトや、K-1のステファン・レコの出場がばたばたと
決定し、そして極めつけに現PRIDEヘビー級王者であるヒョードル大帝が出場を
決めたと言う。PRIDEを興業するDSEはこのヒョードル大帝の引き抜きに対して
「法的処置も辞さない」と訴えているが、果たしてどうなるか。

 ヒョードル大帝が出るならば神戸で開かれる猪木祭りに行こうかと思っている。
TVの前でカチャカチャとチャンネルを切り替える予定ではあるのだが、大帝出場は
それを吹き飛ばす程の威力がある。


2003/12/8 【青空カラオケ】
 弱者の気持ち云々と云う主張を聞いた時に、思わず思考停止に陥るような愚は
絶對に避けなければならない。
 大阪の天王寺公園付近に浮浪者が集まりカラオケ店舗群を開いていたのだが、
やっと行政側が重い腰を上げて強制撤去が行われる事になっている。「弱者を
虐げるよりも先に他にする事があるではないか」と云う論は確かに正解だが、
弱者とは不法行為の上に日々を送る人達に付けられる名称ではない。万引きや
傷害事件を繰り返していた未成年が更生し、それに対して「偉くなった」と褒める
馬鹿者達が居るが、まともな未成年者は不法行為をしない訳である。
 今の時代に於いては、弱者の側に立ちさえすれば物を言う権利を得られるし、
被害者面をしさえすれば声高に物を言う機会が与えられる。在日朝鮮人や被差別
部落民の正体とはまさにこれを指す。弱者の権利を守ろうと云う教育を捩(ね)じ
曲げていった連中の手により、本来の弱者だけではなくまがい物の弱者をも保護
しなければならないと教え込まれている。行政が手を下す事を反対しているような
マスコミには開いた口がふさがらない。

 もっと早く手を打つことは出来ていたはずである。市民の政治意識の低さや
政治家のこの件に対する意識度の低さも勿論だが、大阪の市役所や区役所の
実情も多少なりとも関係している。
 大阪には在日朝鮮人が多数住むが、それに負けずと多いのが部落民である。
そして彼らが役所に「部落民枠」とでも云うべき物、即ちコネで配属されている事は
忘れてはならない。同胞を愛すると云う思考は同意出来るが、部落民が巣くった
事で対策が何十年も遅れたことは事実である。彼らを弱者視して保護し続け、
結果として役所にまで入り込まれているのは、まさしく獅子身中の虫である。

 齢四十を超えていきなり公務員として働き始めたような人、どう見ても頭が悪そう
であるにも拘わらず公務員として新卒採用されたような人、彼らを疑うのである。
まがい物の弱者を差別する事も社会正義の公使である。


2003/12/7 【久方の散るらむ】
 人の口論と云う物は、如何なる視点で見ようとも居たたまれない面持ちになる。
それが知り合い同士の場合は尚更である。
 仮にAとBとする。
 Aに対しては、「あ〜あ〜、、。言い切っちゃうとダメだってのに。若さ故か言葉の
選び方がどうにも生々しすぎるんだよなぁ。」と言ってやりたく思うが、熱くなった
現状では何も耳には入るまいと判断し、「分かるよ、分かる」と愚な同意をば。
 Bに対しては、「いやあなた、そんなつっけんどんな物の言い方だと、無用の敵を
生むでしょうに……。考えなきゃさ。」と言いたくなるが、それを言える程の仲の深さ
でもない訳で、「まぁまぁ、、、」となだめるに終始する。
 無駄な時間を費やしている事を認識しつつも、途中でケツを割ってしまっては
私の甲斐性が問われるよな、と要らぬ事が頭をよぎった瞬間、もうその場から
逃げ出すことが出来なくなっている。面倒事とは逃げられないから面倒事なのだ。

 夢の内容に付いて話すような人間ではないが、悪夢とはこれか、と云う物を
視てしまった時は思わず誰かに言いたくもなる。いつまでも物事を忘れないのは
良い事ばかりではない。

 K-1プロレスの決勝は面白かった。客席の反応などは知らないが、今回の台本を
書いた人はプロレスを知っている人だったのだろう。惜しむらくは出演レスラーの
演技力の問題だけだったと。


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