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第一章

 高田延彦の引退試合が一ヶ月後と云うこともあり、しばらくの間、
総合格闘技史を紐解いてみようかと思う。

 223cm、250kg、説明するまでもなくアンドレ・ザ・ジャイアントである。
CATVの名勝負特集で、猪木vsアンドレの試合を放送してくれた。
これは”格闘技世界一決定戦”ではなく、NWFヘビーのタイトルマッチ9戦目、
前年にはアリとの異種格闘技戦を味わっている猪木の試合っだった。
 試合序盤からアンドレが猪木のアゴを締め上げる。
5分程スタミナを絞られた後、猪木が弓矢固め、スコーピオンデスロックへと移行。
ファイナルカウントダウンでベイダー戦で見せた、ロープ越し反則チョークも披露。
ショルダータックル、ネックブリーカー、ジャイアントヘッドバット、
その後執拗に左足を攻められたまま15分経過。
弓矢固めをしたアンドレに対し、逆にカウントを始める新日のミスター高橋。
ベアハッグで締め上げられる猪木が、ヘッドバットで隙間を作る。
コーナートップからのニードロップを二発、そしてフライングヘッドシザース、
最後には両者リングアウトというグダグダの試合内容で、猪木が防衛をする。
 文字で結果を追うと意味不明な文字列だが、馬場が言うように、
「でかいもんは強い」は真実であり、体が動いていた時代のアンドレは強かった。
目を離していると何が起こるか分からないと云う部分が確かにあった。

 この”格闘技世界一決定戦”で、グレコローマン式レスリングの技である、
パワーボムがプロレスのリングに初めて猪木の手によって輸入される。
天龍源一郎の技でも無ければ、ボブサップがノゲイラに仕掛けて驚く必要も無い。
ザ・モンスターマン相手に猪木が仕掛けたのが最初なのだ。
極真空手のクマ殺し、ウィリー・ウィリアムスと戦ったのも決定戦。
今総合格闘技であるPRIDEなどで行われている、「誰が一番強い?」という、
素朴で、純粋な憧れの気持ちは猪木によって作られたと言える。
では、最初に道を開いたのは誰だろうか?

 グレイシー一族、ブラジリアン柔術の奴等が日本の柔道を目の敵にするが、
日本に於ける総合格闘技の発展にも、グレイシーは微妙に関係している。
”柔道の鬼”木村政彦に腕がらみで負け、ブラジル最強の名を汚されたエリオは、
グレイシーファミリーを作って汚名返上の機会を狙っていた。
UFC(アルティメット)の大会で満を持してホイスを送り込み、
日本には長兄ヒクソンを遠征させてバーリトゥード最強の名を手に入れた。
 しかし、木村政彦を狙っていたのはエリオグレイシーだけではなく、
かの力道山に対して「プロレスは八百長だ」発言をしたことにより、
力道山vs木村政彦の異種格闘技戦が組まれることになったのである。
シナリオは組まれていたとも、ガチ(真剣勝負)だったとも言われるが、
力道山が空手チョップを一方的に当て続けることで、木村は敗れる。
これが、日本の総合格闘技の一歩目であったのだと思う。

 力道山が作り、猪木が紡いだ総合格闘技の道は、膨張し、収縮し、分裂する。
「何が起こるんだろう」「これは死ぬんじゃないのかな」「やばいって!」
こういうドキドキ感や、純粋な強さへの憧れ。
そしてそれが集約した、「誰が一番強いんか決めたらええねん」という言葉。
”格闘王”前田日明が登場する。



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