第四章
始まりがあれば終わりがある。
万物は、創造神の悪戯と、時の神官の目からは逃れることが出来ない。
第二次UWFにも終わりの日が訪れる。
1991年1月。
UWFの選手達で、鍋を皆で突付こうかと云う話になり集まることになった。
そこで出た話題が悪かった。
「誰が一番強いのか?」
酒が入っていたせいもあるのだろう。
この話が嵩じだし、前田は切れてしまった。
「ごしゃごしゃ言うてやんと、誰が一番強いんか決めたらええねん」
危うさの上で保たれていたUWFが、再び加速を始める。
鍋をつつく箸がとまる。
各人のコメントは、以下の通り。
「僕らはガチ(=格闘技用語で真剣勝負)をしたいんじゃなく、
スポーツをしたいんですよね・・・」(船木誠勝、鈴木みのる)
「借金があるから、それを肩代わりしてくれるのなら・・・」(藤原善明)
「・・・」(高田延彦)
そして、あっさりと第二次UWFは解体した。
(注意:鍋の話には諸説があり、わたしが知っているのは内2つだけ。
この話の方が面白いので取り上げただけで、真実は誰も知らない。)
微妙な差がある”最強”という像が、一気に噴出してしまった事件。
カリスマである前田を追って結集した気持ちは膨張し、分裂した。
だが前田日明を伴わなくても、
「誰が一番強いんか決めたらええねん」
という言葉は一人歩きをし始める。
分裂したレスラー達の各自団体立ち上げである。
藤原組は、藤原善明を中心にすえた団体である。
決して順風満帆のスタートとは言えなかったが、LLPWの
”女子プロレス最強の男”神取忍と、性別を越えた異種格闘技戦をしたり、
みちのくプロレスと交流戦をしたり、楽しい興行をしている。
ただ、大量離脱者は痛かった。
新日本プロレスからずっと一緒に戦ってきた、船木誠勝や鈴木みのる達が、
考え方の違いから大量に離脱したのである。
結局、藤原組の自主興行は困難だったが、”サブミッションの鬼”藤原組長は
各団体との確執を持たず、交流戦という形で発展していった。
パンクラスは、藤原組を離脱した船木や鈴木みのるが作った団体である。
旗揚げした段階では、ボロクソに叩かれたと言っていい。
「勝敗至上主義」、「ハイブリッドレスリング」という新たな看板を打ちたて、
パンクラスは独自の道を歩み始めていた。
UWFインターナショナル(通称Uインター)は、高田延彦の団体である。
新日本プロレスから第一次UWF、第二次UWF、ずっと前田日明の付き人として
共に歩んでいた高田延彦が、ここで初めて袂を分かつことになった。
一人残された前田日明は、リングスを旗揚げする。
クリス・ドールマンら外国の選手の中で、日本人はただ前田のみ。
1991年に設立した三団体、そして93年に旗揚げしたパンクラス。
最強の名を求めて分派したこの四つの団体は、U系と呼ばれることになる。
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