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2003/8/31 【メガホン一つとっても、毎年新調していましたなぁ。】
 阪神タイガースが優勝するのかどうか。今日の試合の結果でマジックは11となり
最早”優勝”と口に出しても構わないのだろうが、ここまでずっと口に出さないように
耐え続けてきたのだから、もう一踏ん張りなのだ。今はただ感激の再来を待つ。

 だいたい、チケットが高すぎるのだ。6月頃のダフ屋料金は15,000円程度だった。
それが7月の「すわマジックか?」と云う期日前後になって3万円に跳ね上がり、
「いよいよか?」と云う今現在でのダフ屋料金は5万円以上になっている。エックス
デイには果たして幾らになることだろう。
 その昔のタイソンvsホリ・フィールドと云う日本で行われたヘビー級タイトルマッチ
の値段が、1Roundで30万円だった覚えがあるが、それと勝るとも劣らない程に
「高いよ、おい」と云う感想を抱く。流石にもう買えないってば……とチケット抽選に
ハガキを出してみても梨のつぶて。ったく、早く消化ゲームにならないかねぇ。

 グッズ売り場でちまちまと商品を買いながら、少しずつ売り上げに貢献をする。
今OFFでの選手大量解雇を予想してしまって早くも切なくなってしまうのだが、
いい加減トップの顔ぶれを取り替えて、まともな球団になって欲しいものだ。
売り上げにファンの多数が少なからず貢献をしているのに、昔から全く体質が
変わる気配が無い。ほんとどうしようもない。


2003/8/30 【珍しく炎天下に】
 今年の夏は冷夏だね、なんて言葉がよく聞かれたのは盆までの話。そこからは
ハガキの文字列宜しく、旧暦通りの残暑をお見舞された。これは最早酷暑だろう。
冬の寒さは重ね着で誤魔化せるが、夏の暑さは真っ裸になろうとも誤魔化せない。
毎年毎年、心底嫌いだよ。ほんと。
 今日も暑いなぁ、と思いながら行楽地に出かけてみれば、いつも以上に子連れの
波、波、波。どうやら夏休み最後の土曜日だった事と、もう海にはクラゲが居て
海水浴の季節でも無いと云う事が、海以外の行楽地へと後押ししてしまった樣子。
暑い最中の子供の黄色い声は、脳にカンカンと届くのでとても難儀なのだが、嫌な
顔をするのも美しくない。
 ほんと、こんな日に出かけるもんじゃないなぁ。室内ラヴだ、ラヴ。


2003/8/28 【早期の核配備と軍事的独立を切望する。】
 このWebスペースには何かの色が強い物を書かないように心がけているのだが、
連日NHK総合で放送しているNHKスペシャルの映像を見ていると、少しとは云え
触れてみたくもなる。

 彼らに大量虐殺の現場を余すどころ無く映した映像を見せたい。自由と平和を
掲げる国の歴史を見せつけたい。そして同じ台詞が吐けるのであれば殴りたい。
アメリカの何処かに憧れの氣持ちを抱き、文化に対して畏敬の念を抱く人間にも
「彼らの根幹は侵略者であり、虐殺者である」と云う現実を見せつけたい。
 戦争の必要性を認識している。ルールの一切が反故とされ戦争が行われる事、
これも分かっている。だが、欺瞞に充ち満ちていても、あざとさの極致であっても、
非戦闘員だけを狙った大量虐殺を許してはならない。そこにルールは有るのだ。


2003/8/27 【ここで一句 「うつけ者 頭を垂れる マゾ気質」】
 良い女の条件を述べるために、「これが良くない」と云う条件を列挙したのだが、
「ギャンブルをたしなむ女」ではなく、「ギャンブルに溺れる女」に変更しておく。
でも、男でギャンブルに溺れている奴ってのも随分とロクな奴ではないなと思うし、
人間としてダメと云う部類の話なのかもしれないなぁ。

 愛想が良く、よく笑い、聞き上手で、自分語りをする女。これが要注意らしい。
・愛想が良い。これは基本的に男にだけ愛想が良い場合が多いが、女に対して
その愛想の良さを見せる場合もある。「良い子だな」と思わせて成功。
・よく笑う。これは「俺の話が面白いんだな」と思わせた時点で成功。
・聞き上手。男の目を見て適宜うなづいているだけで好印象。つまり成功。
・自分語り。つまりは天然の事であり、自分がいかに天然かをアピールすることで
男に「カワイイ奴だな」と思わせて成功。
 更に口癖としては、「私には理解者がいないの」や「あたしはひとりぼっちだから」
などが挙げられるらしく、そこに続く言葉として「○○君と一緒に居るとホッとする」、
「○○君と一緒だと楽しいな」と続く。
 こういった人に対し、「俺だけは理解者だ」とドーンと胸を叩くことこそが男の道
だろうと信じて生きてきたのだが、そう思っているのは自分だけで、大馬鹿者に
過ぎないと云うことが真相だったようだ。「俺だけは」なんてのは思う壺、とも。
いやぁ、ほんとに馬鹿だった。


2003/8/26 【ザ・ジャッジ】
 平日か休日かは定かではない。22時台の電車のとある車両での話。
 「優先座席」にはまだかくしゃくとした初老の男性が二人座っており、一般座席も
まんべんなく空席が無いと云う状態で、幼子を連れ赤子を抱いた女性が乗り込む。
皆が詰めて座る程の混み具合では無かったため、その女性は「すいません」と
場所を空けてもらう事を望み、幼子を連れていた事に気付いた男性は「どうぞ」と
立ち上がる。
 ここで優先座席の初老の男性が女性に対して声を掛けた。やや大きめの声で。
「こんな時間まで子供を連れ歩くとは何事だ。君は席を譲る必要なんてない」

 この初老の男性をヒドイと思うのも、正しいと思うのも間違いではない。女性、
しかも幼子や赤子を連れている人を愛しむのは常識であると考えられているし、
同時に、子供を遅くまで連れ歩くと云うのは常識の欠如と言われても仕方がない。
 ただ、彼らはお互いに「何言ってんだ。バカじゃないのか」と思い合うのだろう。
私は席を譲るのが基本的に好きな人なので、これからも「どうぞ」と言うと思うが、
初老の男性の言う言葉にも理はあるよなぁ、とも思った次第。


2003/8/25 【Ninja乗りの臼井先生、元気していますか?】
 住基ネットが開始された事によって困る人達とは誰なのだろう。この反対派の
最右翼が横浜市である事も併せ見れば、色々と見えてくる事は多いと思うのだが。
 個人情報のデータ化と云う意味で、ここが利点だなと思わせる事が今日あった。
 私は視覚障害者であり、コンタクトレンズや眼鏡がこの先も手放せないのだが、
どうも取り扱いに難があるのか、コンタクトを無くしたり眼鏡を壊してしまったりと、
少なくとも二年に一度はメガネ屋さんのお世話になっている。高校の時に作った
メガネ屋さんが全国チェーン店であった事もあり、二度程別の店で作った事以外
全て同じ店で買っているのである。
 今日行った店は初めて行く支店ながら同じチェーン店であった。私の名前と生年
月日でデータベースから検索する店員さん。「以前は○○に住んでいらした――
○○樣ですね?」、こうやって私の視力等のデータの一切を引き出し、会員と云う
事で割引までしてくれた。
 視覚障害者は角膜切開手術でも用いなければ治癒は有り得ない以上、この先も
一生お世話になるのがメガネ屋であると云っても良く、データ漏洩云々を気にして
虚偽情報を店で申告するよりも、事実を入力しておく方が利点なのである。ネガな
イメージばかりを恣意的に報道するのは頂けないよね。
 ちなみに、そこの店員さんが可愛かった。CXの某アナウンサーに似ているかな。
肌も白かったし、変な色のマニキュアも塗っていなかったし。ただ、頻繁に通う
その理由が私に無いのが残念なのだ。毎月コンタクト洗浄剤を買うのもなぁ(汗。

 私は履歴や学歴を有り難がったり気にしない方だ。高校野球に母校が出場して
いるので応援を、なんて言う人には「私には無い感覚だな」と心でつぶやく程度
だったが、今日ふとTVのニュースを見ていて「母校の後輩が頑張ってんだから私も
頑張らないとなぁ」と思ってしまった。そうか、彼らはこの感覚を味わっていたのか。


2003/8/23 【古語はいいねぇ。先人が生み出した文化の極みだよ】
 トリビアの泉と云う番組が好評を博しているが、構成作家が某ラジオ番組から
パクった企画である事は有名である。さらにトリビアをパクった番組としてテレ朝の
虎の門で一コーナーとして行われている「ウンチク王決定戦」もある訳だが、その
出演しているタレントの中に、肝心のパクられ元ラジオ番組のパーソナリティが
居ることを考えると、見て楽しむべきは虎の門の方だろうと思う。惜しむらくは関東
ローカル番組である事か。
 3年以上も前にウルティマオンラインで某BBSの管理をしていた事があったが、
私はMINAXと云うゲーム内派閥に属し、当時はとてもBBSが荒れ巨大ツリーが
瞬時に育ってしまうような状態だった。ある時、私に対人を教えてくれた師匠であり
敵対ギルドH!に居たプリオが、荒れたBBSにうんちく話を書き込んだ事があった。
それは間違いなく件のラジオ番組のネタであり、「おお、リスナーだったんだ」と
驚いたものである。そのうんちくコーナーが有ったのはトリビアよりも古いのだ。
タモリが出ている時点でボキャブラ臭が醸されており、とても見られた物ではない
と云う判断を下しているのだが、取り扱っているうんちくは面白い物である。
 いつも私はこのスペースにクダラナイ事しか書いていないので、たまにはクソ
真面目に知識になるような事を書いてみようと思った次第なのだ。若干枕部分が
冗長に過ぎる気もするが、まぁいいや。

 古語と云う物がある。いわゆる古文の文中でしか見られないような言葉と考えて
差し支えはないのだが、各地の方言として、また上方では未だに標準語として
残っている事が多い。こういった物を少し覗けば色々と面白い物が見えてくる。
 取り上げてみたいのは「便所」を表す言葉である。いわゆる不浄の物に関して、
いにしえより言葉の隠語化――すなわち言い換えを行って別の表現をする事が
多いのである。
 便所を言い換えて、厠(かわや)や雪隠(せっちん)と言う事が多い。記憶では
江戸時代の洒落本である東海道中膝栗毛に雪隠の言葉が有ったはずで、明治
以降に生まれた言葉ではない。せついんと云う連語をなまらせて「せっちん」と
発音するのが一般的だが、「せんち」と言う事も有る。特に関東甲信越地方で
「せんち」と発音する人が多かったと文献にある。
 また、東浄(とうちん)や西浄(せいちん)と云う、禅寺の中での便所の呼び方が
あるのだが、この「せいちん」がなまって「せっちん」になったと云う説もある。
寺社からの多量の知識流出が有ったことは事実ながら、古典に於いては連語が
なまって新しい発音になると云う流れは至極一般的である事から、私はこの
西浄(せいちん)がなまったと云う話を真実とは認識しない。

 また別の呼び方に、手水と云う物がある。読み方は二通り存在し、「ちょうず」と
「てみず」と有るのだが、上に「お」を付けて「おちょうず」や「おてみず」と呼ぶ事も
多々ある。問題とするのは、この「手水」と云う言葉には、便所だけではなくて、
手を洗ったり顔を洗ったり口をゆすいだり、と云う意味が含まれているのである。
 そして、神社や仏閣にある、手を洗う場所の事を「手水舎(ちょうずや)」と云う。
もちろん小さな手を洗う建物の事を手水舎と呼ぶのであって、その手を洗う事
自体には様々な言い方が今も残っている。
 一つには「御手洗(みたらし)」がある。某アゾート殺人の探偵に御手洗と書いて
「みたらい」と呼ばれる主人公が居るが、人名でだけ「みたらい」と云う読み方が
許されるのであって、実際には御手洗と書けば「みたらし」と読むべき物である。
そして御手洗を訓読みして「おてあらい」と読むのは、恐らく間違いなのである。
御手洗と書いて便所を意味する例を探しても見つからない所から考えるに、何でも
かんでも頭に「お」を付ける事が上品だと思って便所を意味する「手洗い」の頭に
「お」を付けては、結局の処、便所を意味しない事になってしまう。
 話を戻す。この御手洗(みたらし)と云う言葉は、京都の上賀茂神社の側に
流れている御手洗川、もしくは下鴨神社にある御手洗池から来ているらしい。
上賀茂神社の参拝者が御手洗川で、下鴨神社の参拝者が御手洗池で手を洗い
そして参拝する――それがそのまま「神社にある手を洗う場所」を意味する事に
変化していったのだろう。この言葉は、この清川と申すは羽黒権現の御手洗なり、
と云う義経記の文章で確認できる。
 ちなみに「みたらし団子」と云う食べ物があるが、漢字で書くと「御手洗団子」
となり、下鴨神社の境内にある御手洗池の御手洗杜で行われる御手洗祭、
この際に出される団子の事を指すのである。恐らくは、「御手洗団子」と書いて
「みたらし」と読めずに「おてあらい」と読む粗忽者が増えてしまったことが、
ひらがなで「みたらし団子」として売られるようになった原因なのではあるまいか。
ちなみに命名者は後醍醐天皇と言われるが、いささかこの辺りは眉唾である。

 この神社や仏閣で手を洗う場所の読み方は他にもある。「水屋(みずや)」も
その一つである。私の父親の神社では、この水屋や御手洗と云う呼び方はなく
「お手水(てみず)」と言うらしいのだが、決して水屋と云う言葉が失われている
わけではない。全く違う用例があるので、その分使い分けられているようなのだ。
 私の家を含め、上方に残る言葉として「水屋」はある。そして食器棚を意味する。
また、茶道で茶道具をしまう棚を指して「水屋」と云う事もあるのだが、そのまま
夏に水を売りに来る行商の人を「水屋」と云う事もあり、雑多な言葉だなと云う
印象は拭えない。今となっては茶道に於ける意味合いで主に用いられるのだろう。
実際、お茶会に出席した時の祝儀袋には「水屋御見舞」と書くのが礼儀であり、
茶道の世界に於いては廃れる言葉ではないのだなと思わせる。

 今回の便所から手を洗う水にかけた話とは全く別口だが、台所の呼び方も
地方によって異なるようだ。昨日「どさんどん」と云う言葉を聞いたが初耳であり、
何の意味かと思わず問うてしまった。即ち、それは台所である、と。私の地方は
台所の事を「走り元(はしりもと)」と言うのが常であったので、どちらが古語なのか
流石に分からない。だが、標準語を推し進めた結果として古語が消えていくのは
いかに考えようとも文化の喪失だろう。――そうは思わないかい?

P.S..
うんちくは短くスパっと言い切るから「ほ〜」や「へぇ〜」となるのであって、
だらだらと書くのは美しくないし読みにくい。第一、便所の話など役に立たない。


2003/8/23 【A女E女(ええ女いい女)】
 良い女か悪い女かの判断は難しい。最初はとても良い女に見えているのだが
後々にアラが見え始め、「あの時どうして俺は……。魔が差したのだろうな」などと
マイナス方向に思索の落とし処を見いだすがオチなのだ。
 しかし、「あぁ、最初からあの女の性質が分かっていさえすれば!」こう云った
嘆きはもうサヨナラなのである。傾向と対策、緑色のチャート式参考書のように
馬鹿丁寧に先生から訓辞して頂いた内容をメモとして残しておく。

◇こういう発言をする女、またはこんな傾向の女は良い女に非ず◇
1.とりあえずは、女友達が少ない女、ほとんど居ない女はダメ。
2.「私は男友達ばかりだから、こうやって女の子と遊べて嬉しい!」
3.「女扱いされていないんだよね。だから男の子とはさっぱりとした付き合いだよ」
4.確かに女友達が居ないので、女同士で話題について行けない。
5.「男の中に居ると、女を忘れちゃうからダメだねぇ」と免罪符にする。
6.そういう割には、きっちりと化粧をしたりする。
7.男の名前は一発で覚えるのに、女の名前は覚えられない。
8.男にデートに誘われた事実を、とても面倒くさがるそぶりをする。
9.また、「あたしには全然その気が無いから、困っちゃってて」とこぼす。
10.齢23才を過ぎてもブランド物一つ身に付けていない。流行を知らない。
11.とどのつまり、「男にだけ好かれる女」は要注意である。

 きら星の如くの言葉だなぁ、と思いながら聞いていたのだが、何故か途中から
チクチクとした胸の痛みが大きくなっていった。どうやら過去を遡って記憶を掘り
返していく内に、「そういえば」「あぁ、そういえば……」と私の脳google検索結果が
ビンゴし続けていたのだ。この検索は精神衛生上あまり頻繁に行う物ではない。
 もう一つ、12番目として私が勝手に付け加えるならば、「良い女でギャンブルを
たしなむ女はいない」である。少なくとも私は見たことが無いなぁ。

 しかし、TVで島田紳助が言っていた言葉も併記しておこう。
「男は年を取っていく内に、これアカンあれアカンと女を減点法で評価してしまう。
これがいかん。加点法で見やないかんわ。」
 アラに気付いて顔をしかめてしまうのではなく、良い部分を見つける努力。
どうにも私にはまだまだ難しいことなので、ぼちぼちとですなぁ。まずは禊ぎか。


2003/8/21 【人情味と外連味を煮込む】
 上方落語協会の会長に桂三枝が決まった事は以前も触れたが、副会長には
林家染丸と桂春之輔が決定したらしい。さもありなんゝと独りうなずいてもみたが、
会長である桂三枝がその第一歩目となる仕事を行った。→
 脱会した南光とざこばへのラヴコールなのだが、ざこばと三枝の仲違いはともかく
南光との仲違いは決定的と云っても良く、これは梨の礫(つぶて)になるのでは
あるまいか、と。そして義理や人情に姦(かしま)しいざこばが南光を差し置いて
自分だけ協会に戻る事も考えにくく、やはり三枝ではなく仁鶴が会長でなければ
この画餅は本物の餅にはならなかったのだろう。後の祭りだ。
 横山やすしの死後、上方のやたけたさん(無茶苦茶な人)の位置はざこばが
一手に担っているが、上のリンク先にある「ざこば号泣」なんて記事を一読すれば
人情味の厚さが垣間見える。昔から憎めないおっさんである。

 先日、「昔と変わった」と指摘された。そりゃ変わるさ、と云う旨の言葉を返すと
「そう云うことではなく、良く言えばクール、ぶっちゃけ悪く言えば冷たくなった」
とのこと。自覚が無いので更に詳しく聞くと、人の間違いを正さなくなったと言う。
 確かに、一瞥をくれてそれきり目も合わせない、そんな風になった気もする。
しかし冷たかろうと暖かろうと相手の感じ方次第だ。そんなの知らないよ、私(汗。


2003/8/20 【深夜ディベート】
 「この投稿すんげー面白いぜ」とQが入る。懐かしいBBSであり、しかもUOの
Warの話題と云う今となっては全く門外漢な内容ながら、自分達だけでディベート
遊びをして盛り上がろうと云うことになった。
 夜更かし且つ不毛な遊び。ちぃ、熱帯夜だな。


2003/8/20 【にゃろめ】
 その昔、阪神タイガースに在籍した最強の助っ人外国人として、背番号44の
ランディバースと云う選手が居た。当時はまだ珍しい本物の元メジャーリーガー。
 彼がシーズン54本のホームランを放ち、残り2試合で日本プロ野球記録を抜く
可能性が生じていた年があった。シーズン55本の記録保持者は巨人で一時代を
築いた台湾人の王貞治であり、そしてバースの最後のチャンスとなる阪神の最終
2連戦の相手は、監督として王貞治が率いる読売巨人軍だったのである。
 結果は全打席敬遠。ブーイングが飛び交う中、外国人に記録を更新させる訳には
いかない!などと、「王も台湾人やろうが……」と子供心にツッコミたくなる事を言う
プロ野球評論家も居た程だった。

 そして16年後、大阪近鉄バッファローズに在籍するローズに、再びシーズンの
本塁打記録更新のチャンスが訪れた。近鉄の相手となる福岡ダイエーの監督は
なんと再び王貞治……。おいおい、バースの時の悪夢が繰り返されるんじゃ、と
思った人は少なく無かった。
 プロ野球ファンの予感は的中する。王貞治による、自分の記録を更新させないが
ための全打席敬遠が繰り返されたのである。怒りにふるえてボール球を打ちに行く
ローズと、「敬遠は俺の指示ではない」とうそぶく王。すでに優勝チームが決まった
その後での消化試合で、敬遠が必要になる場面など有ってはならないのに。

 そんな王貞治が、CXの番組ワンナイのコント内容にクレームを付けていた。
江戸の敵を長崎で、と云う訳ではないが、「お前にクレームを付ける権利なんて
この先も絶対に認めるかい。ふざけんな」と、衝動的に突っ込んでしまっていた。
怒るポイントが筋違いなのは重々承知なのだが、どうにも王貞治と云う人間自体が
肌に合わない。気にくわない。てめこんにゃろ、と。
 宮迫やドンドコの山口のように笑いの勘がある人間が、こんなしょうもない事で
潰されて欲しくはない。ちなみに件のコントは純粋に面白かった。笑いを解せない
のは人生の損失なのだ。これは食わず嫌いが多い人にも言えるが。


2003/8/19 【ぼやき】
 現在レンタルしているWebスペースは期間限定ながら広告無しで無料と云う、
至れり尽くせりの場所だと思う。htaccessやSSIは置けないが、CGIが可能な上に
sendmailが可能と云うのは大きい。sendmailとはcgiからのメールの発射、例えば
掲示板cgiを設置した時に、書き込みがある度に指定したメールアドレスへ内容を
送らせる、と云う命令と考えて差し支えは無い。こんな便利な機能を使っていない
と云うのは若干勿体ないなぁとも思う。掲示板を設置すれば使うかもしれないけど。

 私はアクセス解析を設置する事が好きではない。IPやDNS名が分かる解析や、
使用OSやグラボのRAM量や画面サイズが分かる物など、様々な解析ツールなり
cgiなりが公開されているのだが、果たして設置の必要性は有るのだろうか。
 設置の必要性を感じるサイトでは、自作のツール類や絵や音楽と云った物を
公開している所を考えている。閲覽する(=キャッシュとしてDLする)人の環境を
知ることは非常に大事なことだからだ。他にも必要性を感じるパターンは多い。
まとめるならば、管理者がその情報を役立てるサイトであれば必要性はある、と。
 逆に設置の必要性を感じないサイトとは何か。これに付いて長く考えていたが、
私にとっての解答は、「掲示板を設置していない」、「世間的タブーには触れない」
と云うサイト内容であれば解析がそもそも不要ではないか、と云う事になった。
現在、この二つの約束事を守ることで私の脳から解析の必要性を排除している。

 pass付き等ではない掲示板を設置する事とは、誰もが閲覽可能であり、誰もが
書き込み可能である状態を意味する。すなわち管理者が適宜チェックすることで
アラシ対策などをする必要があると云う事であり、いささか面倒を感じる事となる。
 また、世間的タブーに抵触する文章をサイトに置く事は、無用の怒りを買う事をも
享受しなければいけない。議論であれば相手の意志を汲み汲まれ、と云う課程を
踏むだろう。しかし閲覧者がタブーと考えている物に触れる事とは、絶対に相手が
引かないし折れないと云う泥沼の議論に突入させられる恐れがあるのだ。これが
はなはだ面倒くさいのである。
 日記は日記として、ライトでふざけた物をのんべんだらりと続けたい訳であり、
面倒な事はご勘弁――と考えると、やはり今のサイト形式、このサーバーの規約が
現状に合っていると思うのである。「おや、鯖落ちかな」と思わせる挙動もたまに
このサーバーで感じるのだが、それは愛嬌ってことでokpk。

 プロバイダースペースは使いにくさを感じるので放置した上で、前段で長々と云う
「面倒」の発生が考えられる文章を、別サイトで書き始めようかと思っている。
 以前取得するだけ取得しておいて使っていなかったxreaサーバーのアカウント。
13番目のサーバー募集の頃に取得したスペースは、そのまま放置していたので
知らない間に消えていたが、その後もう一つ取っておいたスペースが生きていた。
過去の私にgoodjob。気が向いた時にでも手を入れていこう。


2003/8/18 【この人の論旨には瑕がある。】
 遅ればせながら、陰摩羅鬼の瑕を読了した。私は絡新婦の理の方が好きだな。
 過去のシリーズ作品と比較してその優劣を言う事もやぶさかではないのだが、
わざわざ言うまでも無く、と。

 沖縄の人は本州を「本土」と呼び、北海道の人は本州を「内地」と呼ぶ。今年は
北海道にツーリングに行けなかったなぁ、と多少悔しい思いをしているのだが、
先日内地で北海道に酷似した場所を見つけてしまった。道道の北19号、いわゆる
開陽台にある直線道路の酷似ポイント。いいねぇ、所詮は代替物だけど。
 今年の夏は雨が多く、道東を走るツアラーは冷えて冷えて大変だっただろうな、
とも思うのだが、私が北海道で好きなのは盆過ぎ〜九月初頭のシーズンである。
焦って上陸するとそんなもんさ、と強がって独白をしてみたり。哇哇、ブルゾンが
今年も袖を通してもらえずに泣いている――そんな気がするなあ。


2003/8/18 【続・せめて作業中に煙草ぐらい――】
 ケータイの留守録にメッセージが一件入っていた。「またウイルスに感染した」と。
 MSの公式サイトで毎度の如く発表され続けている窓の惰弱性だが、現在被害が
拡がっているブラスターに付いては完全に穴を塞いでおり、そのメッセージにあった
「また」と云う言葉が非常に気に入らなかった。私が事後修復をしたと云うのに、
その後は何ら事前努力をしていなかったと云う事ではないか。更には、右も左も
分からない知識であるのに「ウイルスだ」と判断を下した盲目っぷりも鼻につく。
 とりあえず情報を集めながらPCのFWログを確認してみると、直接ポート135を
突いてくるのではなく、一度無作為にpingを打って反応があれば135を突くような
別口のtrafficを表していた。「新種のウイルスなのかなぁ」と予想を立ててもみたが
情報がはっきりと出ない限りは打つ手もなく、そもそも何故私が尽力しなくては
いけないのだ、と自身のお人好し振り腹も立つ。FW付きのスコット・ノートン先生を
購入して以後はそちらと話を進めて欲しい、と明日その旨を伝えよう。

 こう云った無償の好意を、打ち出の小槌よろしく無尽蔵な其れと勘違いしている
ような人が多い。他人の好意は絶対に求めてはならず、他人への好意は無尽蔵に
与えてもならないのだ。
 この他人か否かの線引きに付いては難しい。以前少しお付き合いをさせて頂いて
いた人に、とあるお願いをした事があった。私にとっては最早他人では無いが故の
甘えだったのだが、親族関係と云う戸籍上の関係でない以上は他人であるらしく、
「常識を疑う」とまで言葉を浴びせられるにつけ、ははぁ私の線引きは違うのだな、
と認識を改めるに至った。以後、私は誰にも頼っていない。世間様では親族関係
以外は他人らしいから。
 だが、私が他人に対して一方的に好意を与える云々は誰にも何も言わせない。
私が甘えさえしなければ、好意を幾ら捧げても問題は無いはずだ。
 「ほんと、ろくな恋愛をしていないなぁ」と何人かから同じ台詞で言われた事実を
考えると、世間様では――と括(くく)る事は閉鎖ベクトルを辿るのかもしれないが、
どこかしら冷めたような虚無的(私にとっては退廃的の意)な考え方を私は選ぶ。
ただ単にひねてしまったのかもしれないが。


2003/8/17 【せめて作業中に煙草ぐらいは吸わせてくれ、と。】
 パソコンが壊れたので診て欲しい、と知人に頼まれた。詳しく症状を聞いてみるが
すぐにパソコンの電源が切れてしまう云々と、要領がさっぱり得ない。仕方が無く
直接家まで行って診てみることにした。
 結論としては、遅ればせながらのブラスターの感染だった。「すぐにパソコンの
電源が切れる」ではなく、再起動していただけじゃないか、とイラっとしてはみたが、
PCショップで購入したのは一ヶ月前で触るのも初めてとの事。ま、しょうがない。

 当初は30分もあればと作業時間を見積もっていたのだが、ウィルスを駆除した
だけで作業が終了する訳もなく、他に紛れ込んでいないかのスキャンをしてみた。
おお!久しぶりのニムダ君じゃないか!と笑ってしまったりもしたが、無駄にHDDを
120GBも搭載していたり、メーカー製品らしく使いもしないアプリが入っていたりと、
スキャンの時間だけで悠々と1時間もかかったり、更にはWindowsのアップデートを
全くした事が無いと云う為体(ていたらく)。
 気がつけば3時間弱も掛かって、やっと終了と云う事になった。その間、クーラー
の効かない部屋であるにも関わらず、一杯のアイスコーヒーが出る訳でもなく。
こういう事があるから無償提供ってのは脱力する。だからと言ってお金を渡そうと
されれば全力で固辞するのだが、元より便利屋と云う扱いではげんなりだよなぁ。

 顔を立てるとか、義理だとか、こういう物は往々にして精神的に宜しくない。


2003/8/12 【天は明にして私なし】
 法律の抜け道を探そう、法律なんてくだらないと云う人に、この言葉を贈りたい。
「理に勝つ法はあれども、法に勝つ理はなし」と。どんなに詭弁を洗練させて飲み
やすい薬を作ろうとも、やはりそれは詭弁にしか過ぎないのである。
 昔からNHKで放映している笑福亭仁鶴の番組はさておき、他局で島田紳助や
みのもんたの法律番組が始まって以来、町の法律家ならぬ「家庭のプチ法曹家」
が現れだしているようである。私達のような学士如きが何をか言わんやだが、
彼らとは違い、六法からの法律解釈と、実務のそれの違いは重々分かっている。
烏滸がましさを指摘されるまで気付けないようでは、未熟の誹りは免れない。

 クリームシチューを久しぶりに作った。人の作ったシチューを美味いと思った事が
一度もない私であるからして、食べたくなれば自分で作るしかないのである。
 今更ながらに言うのも恥ずかしいが、海砂利水魚改めくりぃむしちゅーを非常に
愛している。ボキャブラ出身で唯一面白いと思った芸人であり、上田と云う芸人の
「笑い脳」の回転が非常に好きでもある。飛び抜けた面白さの若手は皆無であり、
中堅どころの腰が重い今に於いては、間を縫ってくりぃむしちゅーが更にもう一伸び
しても良いはずなのだが、なかなか上手くはいかない……。惜しいよなぁ。


2003/8/11 【覆水】
 某○ルコのDVD-RWが全くピクリともしない事に腹を立てていたのだが、その
原因はどうやら私にあったらしい。MyPC、別名ヤニ太郎がUSBやDVDのドライバを
全く認識しない事もあり、試しにノートPCの方にインストールをしてみた所、一発で
成功してしまったのである。Win98で成功してWinXPで成功しない理由は無いはず。
 MSのUPDATEカタログから最新ドライバを直指定しても認識せず、その発売元や
販売元に「ダメなんです、、、」と電話をしてみても、「OS再インストールを勧めます」
と判でついたような答えが出てくるに至り、重い腰を上げてクリーンインストールに
踏み切った。
 結果、一発で成功。HDDを全てフォーマットしなくて良い訳だし、NTFSって技術は
便利だなぁと子供のように喜んではみたが、アプリの関連づけや定義ファイルが
全て死んだこともあり、いささか面倒くさい作業が溢れ出てしまった。
 特に辞書ファイルのバックアップをしばらく怠っていたのが痛い。作りかけのまま
放置中の京極辞書やら何やらを追加登録しなおすと、今度は逆に普段使わない
ような変換が上位に配置され使い難くなった。どうしたものか……。

 最近、腹芸が出来ない人にイライラすることが多い。
 別に京都のように、来客に対して「ぶぶづけ食べていかはります?」と言うことで
「もうそろそろ帰って下さいね」と云う意味を表すような、そこまでの物を期待して
いるわけではないが、多少の理解は求めても良いはずだ。ただ、私に求められても
分からない事が多いとも思われるので、他人に強く求めるわけにもいかないし。
そう、私自身がそう云った勘が悪い人なだけに、余計にイライラするのだろうな。


2003/8/10 【夢の終わり】
 ムリーロ・ブスタマンチ。友達であるプリオが「ブス様、ブス様」としつこい程に
勧めていた格闘家である。今日のPRIDEミドルでは八百長の判定に泣いたが、
実力者であることは、CXのヒドイ編集からも漏れていたのでよしとしよう。
 いつまで柔道着を着て戦う気だ?、ハイキックのガードをしない取り決めですか?
などとと云う他の試合の感想はさておき、一切の台本要素がうかがえなかった
試合が、第七試合のシウバvs桜庭だった。ウォリアーズのコスプレで花道を歩いて
きた時点で、「勝てないよな、、。相手はシウバだ(汗」、と悲壮感が漂う。
 ローで左内モモを狙っていったその瞬間、カウンターでチンにワンツーと放たれ、
2発目がモロに当たってTKO。たった一行で書ける内容だが、実力差が悲しい
ほどに顕れたワンツーだった。

 10年前、日本の格闘技界はグレイシー柔術に蹂躙されていた。馬鹿な一部の
プロレスマスコミは「グレイシー最強!」「ヒクソンと戦え!」と煽りまくり、当時は
まだ強かった高田延彦の完膚無きまでの敗戦で、私たちはその大いなる実力差を
認めざるを得なかった。もう誰も勝てない、と。
 そして数年後、打倒グレイシーを体現化した日本人は桜庭だった。
 今夜の試合の結果を受け、第二次Uインター、UWFインターナショナル、そして
キングダムと連なる歴史を思い起こした時、一つの物語の終わりを言い渡された
感覚を覚えてしまう。もちろん、桜庭が「次こそ勝つ」と云うのであれば、心から
応援をしたいとは思うが、桜庭の口は「引退します」と語り出す気がしてならない。
それほどに重い、何かを断ち切ったようなシウバの一発だった。


2003/8/8 【赤いタンバリン】
 桜井幸子がヒロインを演じた高校教師の名小物として、電話ボックスがある。
携帯電話が主流ではなかった当時だからこそ、その演出が可能だったのだろう。
数ヶ月前に放送された方の高校教師では、無理に用いた電話ボックスの取って
付けた感が最後までついて回っていた。想いを伝える媒体は変わるのだ。
 それを古くから担当してきた媒体であるラブレターだが、今の時代に於いては
「一周回って逆にアリ」な位置にあるのかもしれない。ケータイメールなどが至極
簡単に送り合える以上、紙に想いを書くなどと云うことが希有な物となっており、
その珍しさが故にアリとなると。

 友達から勧められた本に、ジョージ朝倉と云う方の「恋文日和」があった。
「発売元は…別フレKC……。ひぃ、少女漫画か(汗」と、恥ずかしさが極まって
不思議な汁が身体中から出っぱなしの状態で本屋で購入し、先日読み終えた
次第なのである。
 中でも、第八話「イカルスの恋たち」が良い話だった。私の家は親子の仲が
基本的に良い形であり、兄弟の仲も世間様に比べると良い方なのだと思う。
この話に出てくる兄弟のように仲が悪くは無いと云うのに、私が兄に対して持つ
どこかしらウェットな部分が相通じている気がしてしまった。
 全編を通して見て存在するテーマとは、ラブレターを通した恋の話であり、
「愛してる」だなんて言葉が素直に言える年頃の人達が描かれている。佳作。
 でもね。
 少女漫画を買うと云うのは、私にとってはレンタルビデオ屋でエロDVDを借りる
時の軽く10倍以上の恥ずかしさが有る以上、おいそれと買える物ではない。
背徳感に似た物を感じつつ、パタリロ購入以来である羞恥心を再確認した。

 私は「愛してる」と云う言葉を本音で言った事が無い。
 汚れた人間が故に、方便で「あぁ、愛してる愛してる」とは何度も言った来たが、
言いたくて仕方が無かったのに結局言えないままだった人の記憶がある以上、
やはりこの先も言えそうにない。この漫画のようにありのままに気持ちが言える、
と云う年頃は幸せだと思った。年を取ると、思ってもなかなか、ね。


2003/8/7 【続ケガレ】
 先日、母親に相談をされた。
 「友達の娘が、旦那も子供も居る状態なのに、妻子の居る男性と不倫をして
いるようであり、二人で出かけている姿を数度見かけてしまった。友達に対して
娘の行動を余すどころ無く伝えるべきだろうか?」
 伝えることで起こる未来とは、既に破綻していた夫婦関係の清算時期を早める
ことであり、伝えない事で起こる未来とは、「知っていたならば言ってくれれば」
と友達からの言葉が投げられるであろうことだ。どちらが良いかは分からない。
 明確に違ってくるのは、二つの未来に於ける自身の立場となる。伝える事とは
当事者になる未来を意味し、「事実を伝えただけで出番は終わり」などと虫の
良い立ち位置で時間を過ごす事は不可能になる。伝えない事で得られる未来
とは全く異なり、買わなくてもな恨みを買うやも知れず、時間と労力と思考の
無駄遣いを覚悟しなければならないのが当事者の未来なのだ。それを許諾した
人だけが当事者になるべきなのである。
 問題は子供の視点に立った場合なのだが、これはさすがに分からないのだ。
両親の状態を見て反面教師として育っていくのか、心を閉ざして逸れた方向に
進んでいくのか、しつけと云うブラックボックスが子供の数だけ異なる以上は、
過去未来に於いて正解の法則など無い。
 結局、私の母親は「友達に伝えない」と云う形を選んだようだった。それが最善
であると思う。

 私はその娘の顔も、旦那の顔も、子供達の顔も知っている。今からかれこれ
15年程前までよく遊んで貰っていた人達の一人が、その娘さんでもあった。
母親からの話を聞きながら「キタナイなぁ」と不快全開の顔になっていた自分に
気付いて笑ってしまったが、これも間違いなくケガレの感覚なのである。
 今後その人が触ったドアノブに触れるのも嫌だし、お中元等で送られてきた
品物を口に入れる気にもならないが、こう云った感覚を不要ゝと無理に切り捨て
ようとするのは果たして……?と、やはり疑問は尽きない。
 ケガレの感覚とは古の美意識やモラルに相当する物であって、モラル崩壊が
叫ばれる昨今の事象とは、ケガレの感覚を喪失しつつある事と同義なのかも
――と考えれば、この件に関して閉塞状態に陥っている私の脳は楽が出来る。
でも、流石に安直だよなぁ。


2003/8/6 【或る意味伝統、されど】
 何とはなしに、親からのしつけや友達との遊びの中から作られる物に「ケガレ」
と云う物がある。いわゆる「キタナイ」と「キタナクナイ」の線引きであるが、美意識
とは微妙に違う物である。美意識とは自分で作っていく常識の線引きであって、
ケガレは他人との折り合いや他人と影響し合って形成される線引きだからだ。

 実は、私は中古の品物に対してケガレの感覚を払拭しきれないでいる。
 ブックオ○等で中古CDを買う際は、輸入盤のような歌詞カードの部分が読まれ
ていないような物ならば問題ないのだが、見ず知らずの人がベタベタと触った
ような物はどうにも苦手なのだ。だが、知っている人がそれらの店で買った本や
CDや家具の場合と云うのは、全く問題が無くなる。ケガレはその人が扱った時点
で綺麗に落ちているからである。
 さらに線引きを言うと、自分が付き合っていた人の浮気が発覚した場合に抱く
その感覚は「美しくない」になるのだが、その浮気の相手が既婚者であれば
「キタナイ」と云うケガレの分類になる。後者の場合は、いかに風呂に入ろうとも
自分が汚されてしまった感が消えない。この感覚は非常にやっかいなのである。

 都市部ではケガレの感覚が消えている人に会う事も多いが、少し離れると
依然として根強く残っていることに気付く。私もその旧態依然の一人なのだが、
こればかりは幾ら理屈付けをしたところで消える物ではない。ただ、不要と云えば
不要なだけに何とかならないものかと。


2003/8/5 【微困惑】
 男のイジメ問題の解決法は、最終的には相手にケンカで勝つしかない。もしも
グループが相手なのであれば、その一番強そうな奴だけを狙うのが最上である。
これが古くから言われるセオリーだ。
 学校が……、親が……、と責任の所在を求めて思考停止に陥るのではなく、
勝ち負けを問わずして力に訴えなければならぬ時がある、と云うのが持論だが、
女のイジメ問題に関しては力に訴える訳にもいかない。学校と親が必要以上に
気を配り、行き過ぎかも?と思われる程の手を下すのが良いのであろう。
 イジメかな?と判断すれば、早急に相手側を処分する学校と、転校手続きを
取る親が、女のイジメ問題にはやはり必要だと思った。

 こんな話をつい先日していたのだが、今日、ふとある店に入った時のこと。
 今まで入った事もなく、あまり縁が無さそうな店だったのだが、その店の店員の
胸にある名前と顔を見て驚いた。昔々、とある場所で同級生として同じ空気を
吸ったことがある人だったのである。向こうは気付いていない風であったが、
私の記憶にある顔と名前が一致した以上は他人のそら似ではなく、間違いなく
本人であると断定できる。
 続けて頭をよぎったのが、「私のした事はイジメだったのだろうか?」だった。
 授業中は髪の中に消しゴムを、ちぎっては投げ、ちぎっては投げしていた相手。
休憩時間になれば、紙を折った弾を輪ゴムで延々と撃って泣かせていた相手。
そういったいちびった事をしながらも一緒に野球をしたり、集まって勉強をして
いた記憶もあり、私が友達同士のコミュニケーションとして泣かせていた事とは
果たしてイジメだったのか否か?と思うに至り、自信が無くなってしまった。
そして結局は、偶然の再会だと云うのに何も話しかけられずに店を出た。
けだるい暑さの上に、難解な謎がまた一つ。

 次に会ったら声をかけてみようかな。無視されるだけならまだ良いんだけど、
忘れられてたとしたら相当ヘコむだろうなぁ。むぅ、勝手な言いぐさだな。


2003/8/4 【枝雀さえ存命ならば】
 誰が就任したところで、「納得がいかん」と揉めていたであろう上方落語協会の
新会長選挙だったが、結局は桂三枝が就任したことで落着いた。林家染丸一門
に対してかなりの実弾が飛んだとか、仲の悪さで有名な文枝一門が何故まとまり
を見せたのだ?など、嘘か誠かの判断が付きにくい噂や謎が一時錯綜した。
 ともあれ、吉本興業の桂三枝が会長に就任したことで、続く副会長人選で再び
揉めそうな匂いがある。松竹芸能が会長になれば副会長は吉本興業、と云う
形で調和を保ってきただけに、今回の副会長は松竹から一人選ぶことになるが、
この人選が難しい。
 桂三枝と笑福亭仁鶴の一騎打ちだった会長選で仁鶴が負けた形なのだが、
笑福亭門下の中でも仁鶴は松竹ではなく吉本の噺家と云う特殊な例外であり、
そのままスライドして副会長に選ばれることは有り得ないのである。笑福亭門下
で仁鶴を差し置いて良いのは「角が立つ」と云う理由の為に誰も居らず、結局は
桂春団治に決定すると予想してみる。
 桂米朝は、弟子の南光(当時べかこ)やざこば(当時朝丸)がケツを割った経緯
を考えればこの先も無理な話であり、実力がある人が会長になれる訳ではない、
と云う現実を考えてしまう。未だに滑舌も良いし達者なものなのだがなぁ……。

 友達が鬱から復活したと携帯電話のメールで知る。暑い中に拡がる安堵感が、
一服の清涼剤に。なんつって。

 一昨日衝動買いしたDVD-RWがピクリとも動かない。もう二度と2000円を超える
○ルコ製品は買わないし、安かろう悪かろうの格言は嘘ではない。もし明日も
動く気配がなければ返品してやるっ、と固く心に誓うのだった。
 そもそも、ビデオボードを見に行っておきながら、「おぉ、DVDも安くなったな」と
商品を手に取り、気がつけばレジに並んでいた時点でダメ過ぎ。


2003/8/3 【すっげぇ可愛くない店員もいるけどね】
 お気に入りのファミレスが出来てしまった。何の料理を食べても美味い上に、
制服が微妙に可愛いのと、モスバーガーの店員並の礼儀正しさで、居心地の
良さを感じてしまっている。往々にして、男にとってお気に入りの店とは「可愛い
店員の居る店」を指すが、この店の店員さんの全員が微妙に可愛くないのが、
逆に居心地アップポイントに繋がっている。
 あまりに可愛い人や好きな人の前だと、緊張し過ぎて何を言っているのかが
分からなくなったり、嫌な汗をかいたりするのが私の常なのである。こんな癖を
十分自覚した上で、美味い料理に舌鼓を打ち、微妙に可愛くない店員が逆に
可愛いなと思いつつ、これからもしばらくは通う腹づもり。アタリだね、アタリ。

 友達がどん底の鬱状態にあると思われる。何か然るべき手段を、と幾ら気を
揉んだ処で、私に出来る事など知れている。望まれた時に望まれた手段を講じ
られるのが、周囲の人間による最善の治療幇助となる以上は、この距離感が
一番良い事になる。望まれない状態で行われる押しつけは、唯のおせっかい。

 映画「グラディエーター」で、マキシマスがコロッセウムで正体を明かすシーンで
再び号泣をしてしまう。他にはインディペンデンスデイでの大統領の演説シーンで
ドドドッと涙がこぼれたり、福本の漫画「天」で赤木しげるが死ぬシーンで泣く。
どうも私の琴線に触れる物は限られており、屈辱や名誉が絡むシーンに弱い。
哭きの竜での竜と雨宮の話も、何故か琴線にビリビリと触れますな。
 基本的に涙腺が緩い人ではあるが、こうやって自身の琴線を顕わにしても、
何も得る事が無いことに気付く。無駄な思索が本懐さ、と自分をなだめようか。


2003/8/2 【浴衣姿は、通常時の三倍】
 祭りや盆踊り、花火大会のシーズンと云うこともあり、浴衣姿の人をよく見る。
 どういう訳か、社会人になってからの友人にも呉服屋の息子が二人も居たり、
また別の友人が和裁をしている家の人だったりと、私の母親が和裁をしている
事も合わせ、不思議な縁がある気がしてならない。
 さらには高校の同級生にも呉服屋の息子が居たのだが、その彼の和服姿が
素晴らしく似合っていたのを覚えている。天神祭に出かけると云うので、地下鉄
御堂筋線で乗り合わせ、彼の姿を見つけた瞬間に「おお、かっこええ」と男惚れ
してしまったように思う。絣(かすり)の浴衣が栄(は)えていた。

 男女を問わずして、和服を着る人が好きである。もちろん柄も大事であり、
わけの分からないブランド名「ア○ア○」なんて和服はゴメンナサイだし、最近の
上下セパレート式浴衣や、ワンタッチ式で袖の着脱可能な浴衣は反則だと思う。
 特に、百貨店などで売られている吊るしを買ってはいけない。それらはミシン
縫いといって縫合に固さがあるにも関わらず、手縫いと変わらない値段で販売
されているからだ。
 通常、浴衣の反物の相場は二万円程度で、そこに仕立て料の八千円程度が
加算され、三万円弱の値段で売られている。一方吊りの既製品の中には、安い
物ならば二万円を割る物もあるのだが、まともな反物やブランド物で作られると、
ミシン縫いにも関わらず値段が四万円程度にまで跳ね上がる。
 一夏着たらもう終わり、と云う着方ならば話は別だが、解いて洗いに出して、
また裁縫しなおして来年着ると云うのであれば、やはり手縫いに限るのである。

 先日、母親に頼んでみた。
わたし「なぁ、着流し欲しんやけど」
おかん「どんなんよ。浴衣?」
わたし「いや、長襦袢。それだけでええんよ」
おかん「長襦袢だけて……」
わたし「ピンク色のんがええわ」
おかん「噺家さんみたいになんで、、、?」
わたし「せや。蕩児みたいでよろしやろ?」
おかん「あほらし……」
わたし「……(いや、めっちゃ本気なんやがな)」 


2003/8/1 【シリウス】
 少女漫画家に柊あおいさんと云う方が居り、その方の「星の瞳のシルエット」が
非常に面白かった。昔、悪友の一人が、妹の部屋に在った少女漫画なんだけど
面白れーんだよな、と言っていたのを思い出し、この節少し手を伸ばしてみた
次第なのである。
 私はスタジオジブリの作品の中では「魔女の宅急便」と「天空の城ラピュタ」と
「耳をすませば」が好きなのだが、その「耳をすませば」の原作者でもあったのが
この柊あおいさんだったらしい。事実、予備知識が一切無い状態で読み始め、
非常に読後感が良い漫画だったと思う。

 文化形態の中でも一段低く評価されがちな漫画だが、「名作と呼んでも差し
支えの無い物リスト」や「私のBEST100」などを言う人が多いのは、その敷居の
低さにこそ理由があるのだろう。文学作品でありがちな、権威に右向け右と云う
評価を下すのではなく、読者が各個人で自由に評価を下すのは健全だと思う。
 もちろん私にもマイベストとでも云うべき物がある。(全て完結作品)
・MASTERキートン
・スラムダンク
・あしたのジョー
・エリア88
・めぞん一刻
 特に、MASTERキートンは全て初版で集めていたぐらいに惚れ込んでいた。
中でも「シャトーラジュンシュ1944」と「靴とバイオリン」は秀作なんだよなぁ。
スラムダンクもごしゃごしゃと言わずもがな、安西先生のブルる光景を見るだけ
であっても十分読み直す価値がある。これは誰にでも勧められる5傑なのだ。
 ただ、最近は週刊誌を買わないどころか全く読まなくなってしまった。面白い
物が無いなぁと云う飢餓状態だったのが、星の瞳のシルエットをより面白く
感じさせたのかもしれない。それ程に現在連載中の漫画は不作ばかりだ。


 今月の8日に発売(予定)の、「陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)」が今から
楽しみな今日この頃である。ノベルスは延期が付き物だけど、ちゃんと本屋に
並んでいるといいのだが。塗仏の二冊と百鬼夜行ー陰ーの復習をしておこう。


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