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2004/2/29 【シーズンが始まる前に】
 今の内に考えておかなければならない事がある。それは永く応援をし続けてきた
阪神タイガースの檜山進次郎選手を今年以降も応援出来るのか?である。普段は
朝鮮日報が報じる物は嘲笑して即終了なのだが、このニュースが流れた時には
流石にヘコんだ→。本名が黄進煥とは――まさに青天の霹靂である。
 正月明けにこのニュースが流れた時は、まさか、と信じたくない心が強かった。
数年に渡り声を上げて応援し続けてきた選手が、存在すら認めるに値しない在日
であるなど、噂にしても性質が悪すぎると。そして、信じたくない気持ちとは裏腹に、
どうもこのニュースばかりは信憑性があると結論づけてからは、阪神関係の報道は
努めて耳にしないようにしてきた。そう、自分なりの答えを出すまでは。
 「在日かどうかなんて問題じゃない。阪神の選手として長く頑張ってきた選手だ」
こんな理屈ではもはや誤魔化せないのだ。不法入国を強制連行と連呼し、今も尚
日本社会にパラサイトし続ける下賤の民。誰に差別主義者と罵られようとも、彼らの
存在を一瞬たりとも容認する訳にはいかないのである。大阪で生まれ育った事で、
被害を味わったことも耳にしたことも他の地域の人達とは比べ物にならないだろう。
歴史的見地に立っても、若輩なりの記憶を辿っても、彼らの容認とは私の同一性を
放棄する事と同義なのだ。本当に残念だ……。私はアンチ檜山となる。
 そして同時に、この辺りが私の限界なのかなと自嘲してみた。何度彼を擁護する
ロジックを構築しようとしても、根幹部分で拒絶する物がそびえ立っている以上は
甚だ無力だったと云う想いを禁じ得ない。


2004/2/27 【罪刑法定主義】
 年に二回か三回だけ巡回するスレッドに「デスクトップを晒すスレ〜」系列がある。
気に入った物があれば数ヶ月でも使い続けるのだが、気に入らないとしばしば手を
入れたくなるのは誰にも起こり得る話である。
 それらのアップロード先として現在運用されているサイト、その作品群をぼんやり
眺めていると、デスクトップの壁紙上にyahoo!等のニュースが流れている物がある。
何のソフトを使ってんだ?と調べてみると、どうやらSamurizeと云うソフトらしい。
CPU使用率、メモリ使用量、ドライブ使用量、他にも天気予報スクリプト等が使え、
努力次第ではかなり凝った物が出来るらしいのだ。
 新し物好きなので、Samurizeスレを見ながら早速導入。ちょこちょこ…と作業を
始めたものの約30分で飽きてしまった。あまりにも根気が足りない事に今更ながら
ガックリとしながらも、まぁしばらくは……とこれに向き合ってみようかと思っている。


 麻原に死刑判決が下されたが、長時間読み上げた判事も大変だっただろう。
 法学部の学生でなければ、他人の裁判の判決文を読む気が起こらないのはよく
分かる。法律用語、つまり普段は耳にしない言葉が頻出する事は読む者にとっては
非常に手間を感じさせ、取っつき辛さを覚える結果になるのは致し方ないからだ。
 私的解釈だが、語彙の多少を重んじる事とは「より正確な意味でコミュニケートを
行う意思」を意味し、一つの言葉を様々な単語や表現で言い表す事が、意思疎通に
於ける互いの脳内での齟齬を減少せしめる事に繋がる。「難解だ」と言って物理の
公式を投げる事とは異なり、日本語の一つの表現を「難解だ」と言って投げ捨てて
しまうのは早計だと思う次第である。
 27人にも及ぶ罪科の列挙である。その内どこかの新聞社のサイトに要旨だけでも
アップされるのだろうが、刑法60条の共同正犯と、刑法61条の教唆が、今回の判決
を考える上で閲覽すべき条文だろう。

 近代刑法の骨子理論として在る物は”罪刑法定主義”である。聞き慣れない人も
いるかもしれないが、簡単に言えば「刑法の条文に書かれた物でしか罰しないよ」
である。「歪曲すれば○○罪にも当たる、否、さらに歪曲すれば○○に」と云う事が
起こらない為に、刑法条文に当て嵌められない罪に関しては罰されないのだ。
 すると、麻原は刑法61条の教唆、つまりは「人を教唆して犯罪を実行させた者には
正犯の刑を科する」と云う条文を適用出来ても殺人罪には当たらないのではないか
と云う疑問が生じると思う。しかし判決は「殺人教唆罪」ではなく「殺人罪」だった。
これは何故か。
 ここで出てくるのが刑法60条である。
◇二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。
確かに罪刑法定主義に相照らせば、「麻原は共同で人を殺した訳ではないから、
殺人罪には当たらないのではないか」となる。数十年前はこの学説が多数であり、
結果として多くの犯罪者を逃す形になった事を受け、現在はここに様々な解釈を
加える事で、刑法60条を「共同正犯罪」ではなく「共謀共同正犯罪」と読む事が
相応しい物となっている。
 まだ判決文を未読ながら、私なりに麻原の場合のロジックを推測する。麻原は
オウム真理教の絶対的支配者にあり、幹部を含めた全ての信者はその被支配者に
属したわけである。そしてオウム真理教が起こした犯罪に付いては、麻原からの
何らかの指示が出て初めて実行された事が明らかであり、支配者から被支配の
この流れこそが「共同意思の下に一体となって各自の意思を実行に移すことを内容
とした謀議」、即ち「共謀」に相当したと考えられる。この共謀を含めて共同正犯と
考える学説が現在は主とされている事から、今回の殺人罪事由となったのだろう。

 刑法も古びており、新解釈だけでは新しい罪(ネット犯罪等)に対応しきれなく
なってきてはいるが、なかなか上手く運用しているではないか。7年もかけるなんて
司法のフットワークが重いよと云う声も多数見受けるが、いざ自分が被告人となった
場合に、高速化された審議、尚かつ陪審員も判断、結審まで僅か1年足らず、この
未来に不安を覚えないのだろうか。
 人が人を裁く事に懐疑的になったとしても、人は人に依ってでしか裁き得ない。
故に、誤謬を犯す事無きように十分な時間を掛けて審議を行うのである。冤罪で
いざ自分が当事者になった時の事を思えば、諸手を挙げた裁判高速化への流れは
苦虫を禁じ得ないのだが……。星条旗な脳ミソを持つ一部の方々は口にしないが、
日本が導入する陪審員制度の短所は、長所と差し引きで計算するにはあまりにも
鼻に付く物なのである。


 数日前の安部英のHIV訴訟の話だが、玉虫色の意見で終始したので本音を少し。
 司法だけが、冷静に、しかも順当に正義を行使して無罪を証明したのだ。安部を
絶対悪の象徴として追いつめた各新聞社、各TV局、小林よしのりに代表される
識者面の連中、そして原告団には反吐が出る思いだ。二審を公判停止ではなく
依然裁判継続の判断を下し、順当に無罪判決を下さなかったのは、表面的には
原告団の敗訴に見えて、実質的には原告勝訴であると言っても良い。東京高裁は
安部がボケたのを良い事に、地裁で示した司法の正義を汚してしまったのである。
過度なシンパシーを抱く人間もいるがベクトルが真逆な事実には脱糞物なのだ。
目の前でモリモリ盛るぞってんだ。


2004/2/26 【ピアノを弾けたら楽しいだろうなぁ】
 三国志に対する造詣度、ざっくばらんに言えばヲタク度合いを測る言葉として、
「サンゴッカーLv○○」との言い方でそれを表していた。全武将の字が言えるLvは
7前後であり、「○○の戦いの参加武将は?」等の質問に過不足無く答えられる
Lvで9前後と云う、割合辛目の評価付けだった。そして私の最終Lvは4程度。
 高校生の頃だっただろうか。まだサンゴッカーLvが2の頃に出会った本として、
”反三国○”と云う物があった。鳳雛ことホウシゲンが落鳳坂で死なない、徐元直は
新野に残る、曹孟徳は負けまくりと云うトンデモ版三国志だったが、これはこれで
――と思える訳も無く、ただのクソ本であった。もちろん評価する連中も居たが、
元来蜀のまとまりにホモ臭さを感じていた私には、ただの気持ち悪い小説に過ぎな
かったのである。
 本日放送分の白い巨塔を見ていて、「そりゃトンデモ脚本だろう」と思ったので
反○国志を引き合いに出した次第である。リアリティなど何処吹く風、己が道を
驀進し続ける井上由美子版の白い巨塔だが、三国志のトンデモよりも好きな演出
なので面白く見ている。しかしあまりにも原作に手を加えすぎると、映画版模倣犯で
宮部が「クレジットから原作者宮部の文字を取って欲しい(汗」と言った時のように、
山崎豊子が何かアクションを起こすのではないかとドキドキするのも本音である。

 いつぞや日記に書いた覚えがあるが、「ふとした時に掛かったクラシックの曲を、
あぁこの曲は○○の○○だね、などとサラっと言えたら気持ちいいかも計画」が
少しずつ進行している。ベートーベンのコンチェルト5番「皇帝」が掛かった時に、
「ベートーベンの……だね」と小さな声でぼそっと言うと驚きを以て迎えられたのだ。
 いい加減な私の耳であり、もちろん「たまたま」知っていただけなのだが、文字の
知識を幾つ知っていても人に伝える機会はなかなか訪れないのに対し、音の知識、
しかもクラシックの旋律を披露するとなかなかに驚かれるようである。当人にとって
未知の物を提示された時に「へ〜」となる事に違いなど無いはずなのに。
 まさか「西川口の和風サロンって店がええんよ」だの、「ススキノのカリペロがね」
だのと普段から言っている人間がフザケた事を言うから驚かれたと云う事だろうか。
うーむ、これが真相だろうな。


2004/2/25 【掘り出し物が無いかとバイク屋巡りをしていましてね】
 先日、「ジャケットかっこいいね」と初めて会った人に褒められた。「クシタニです」と
返すと、「いいねぇ、高かったでしょ」とその後も会話が弾んだが、価値観の場所が
同じ人と話をするだけでも楽しいものである。普段は敢えて人との壁を作る私だが、
バイク乗り同士となると急に胸襟を開こうと云うのだから、全く以て不思議なものだ。
あのデグナーライダースの兄さんにまたどこかで会えるかな。
 冬場はリヤの接地感覚がスパッと決まらないのが相場だが、歪な気候の今年は
特に難儀な限りである。冬場は若干空気圧を高めにするのが相場ではあるが、
気持ち高い程度であってもカーブでふわふわして怖いのだ。しかし、圧力計付きの
空気入れをわざわざ持ち運ぶのもねぇ……。


2004/2/24 【ジャニー氏のロリホモ趣味が法の下で確定ですか】
 少しだけ追記。
 安部に対する刑事裁判とは、善悪と云う二元論で物事を見た物だったのである。
マスコミの取り上げ方が不味かったと昨日書いたが、その理由とは、遅からず死ぬ
はずだったHIV患者が非加熱製剤で少なからず生き延びた事実をマスコミが伏せて
いる事にある。つまり、原告団として立ち並んだ人達の多くが、非加熱製剤を当時
専門医から投与されていなければ今日の姿は無かったのだ。
 事件当時既に加熱製剤が既に開発され、安部がその使用を差し控えて当座は
非加熱製剤を用いる様にと号令を出していても、現実的にその通りに非加熱製剤の
投与を決めた専門医が多数居た訳である。当時の安部に使用製剤の決定権が
あっても、現場で投与したのはただの医師ではなく「専門医」である事は忘れては
ならない。「安部も専門医ならば投与した医師も専門医である」、この事は重要な
ポイントとして伝えるべきだった。

 マスコミの他の問題点。それは「一審の無罪判決がおかしい」と伝えた事にある。
 日本での責任者は安部であったが、彼は血友病の専門家であってHIVの専門家
では無かった事をまず押さえておかなければならない。そして同時に、事件当時の
HIVに対する世界の医療水準は依然として手探り状態であり、また最先端医療に
携わる医師の間であっても手探り状態だった事を押さえておかなければならない。
そして、非加熱製剤からHIVが伝染するか否かに付いて、世界的権威のギャロ博士
は否定的な見解を抱いていた事も忘れてはならない。
 即ち、「非加熱製剤が完全に安全とは言えなかった」は正解であっても、「当時の
医療に於いて非加熱製剤が危険と言い切れた」は間違いなのである。これを受け、
東京地裁は安部に無罪判決を出した訳だが、各紙では「まさか」の字を踊らせて
世論を操作していった事は言うまでもない。

 もちろん、こう云った事を列挙する事によって、当時の責任者である安部英の
責任が薄くなるわけではないが、「安部英は絶対悪」と云う構図を広く世間に植え
付けていったのは、マスコミであり小林よしのりであったと云って過言ではない。
追求するならば患者に対して投与を決めた日本全国の専門医をもその対象として
然るべきであるにも関わらず、トカゲの尻尾切りのように安部だけを絶対悪としたが
故に、今日のように歪な形で終わったとも言えるのである。そしてこれはHIV訴訟を
論評した人達、彼らの初期段階での紋切りが招いた結果である事は否めない。
包括的な範囲設定を出来なかっためくら共はどうやって責任を取ると言うのか。
言いっ放しなのか。
 安部に立場上の責任は有ったが、違法性は無かったと考えるのが妥当である。
私は一審の無罪判決を支持する。


 暖冬は構わないのだが、あまりにもな短い冬では冬服の寿命が短くなってしまう。
高くても良い物をと買った冬服が、あっさりシーズンオフになってしまったのでは、
型落ちをしてしまって元が取れないではないか。カシミヤのコートが泣いている。

 Yahoo!BBの顧客データが470万人分も漏洩していたらしいが、現在の加入者数は
381万人余りであり、以前加入していた人の情報をも含む顧客データだったらしい。
中国人や朝鮮人が株主である企業と契約していたのだから、当然この程度の事は
予想しておかなければならない。私的解釈では、中朝系企業に於ける情報漏洩の
予見可能性は十分に有ったと。
 リネージュ2と云う韓国MMOがテスト段階にある。虚偽情報でアカウントを取り
何となくログインしてみたのだが、どうにも面白くない。Lv制のMMOはやはり馴染め
無いと改めて思った。以前ラグナロクオンラインと云う韓国MMOでも顧客データの
流出が有った事を受けての虚偽情報の入力だった訳だが、そもそも電話番号や
住所と云った物がゲームをする為に必要な理由など有る訳が無いのだ。果たして
真面目に入力をする人など居たのだろうか。うさんくせぇよ、うん。


2004/2/23 【いつか書こうとは思っていたんだけどね】
 熊本のホテルが悪い、と云う紋切りは良いのかもしれないが、ハンセン病を色々と
調べてみるとどうにも胡散臭さが残る。この件に付いての話題になる事もあったが、
よく分からない私は口を開いた事が無かった。しかし無知が故に口を開かないのは
良いとしても、言い様の無い胡散臭さを残すのも美しくないので少し調べてみた。
 古くはらい病と言われ神経が腐る物として恐れられてきた。特効薬であるプロミン
療法が確立された後も同病は禁忌の存在であり続け、日本に於いては1996年に
「らい予防法を廃止する法律」が施行されるまで、根強い差別があったと言われる。
そして、現在は完全に治る病として認知されている。らい菌の感染力は弱く、伝染
しても発病する事は殆ど無く、伝染する時期の多くは乳幼児であり、完治者から
伝染する事は無い。簡単にまとめるとこう云う事らしい。
 私は過去に、「遺伝で発病する」と聞いたり、「一緒に過ごしていると伝染する」と
聞いていたのだが正確では無かったようだ。同時に、被害者面での権利拡張論や
逆差別云々に付いてはまた別の話であり、知識として私が間違っていた事とは
何の関わりもない話である、とも。

 日本の司法がおかしいと声高に叫ぶ人は多い。どこがどうおかしいのか明確に、
と問うてみれば、まるで小学生の言い訳の様な文言が飛び出すのは褒められた
事では無いのだが。
 薬害エイズ訴訟での被告、安部英が老人性痴呆症になった事を受けて、この度
公判停止と云う事になった。一審は原告敗訴であり、今回の控訴審での公判停止
を受けて、事実上の原告敗訴と云う形で終わった事になる。原告団には辛い形で
終わった事になるが、これに対して「ボケていても謝罪させる」と息巻いている
川田龍平には開いた口が塞がらないのも本音である。
 そも、今回のHIV訴訟の失敗とは何だったのだろうか。安部英が責任者である
事は間違いのない事実であるが、悪意の対象だけでなく責任の全てまでをも
彼一人に着せてしまった事が失敗だったのではないだろうか。勿論民事訴訟では
厚生省(現厚生労働省)を相手取る国を被告とした訴訟と、みどり十字を含む製薬
会社五社を相手取った訴訟が有った訳だが、そちらは一人に付き4,500万円と云う
和解が成立している。他にも元厚生省官僚の松村明仁、ミドリ十字の松下廉蔵、
須山忠和、川野武彦に対する刑事裁判は継続中だが、安部英がスケープゴートに
なった感は否めない。マスコミの取り上げ方も然りだが、包括的に世論を持って
行けなかったとしか思えないのだ。
◇刑事訴訟法
三百十四条 被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を
聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。
但し、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には
被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。
 つまり、白黒が明確な訴訟、若しくは現時点での判事の心証が明確であれば、
今回の様な公判停止と云う形にはならなかった訳である。疑わしきは…からなる
現在の刑法体系に基づいた物であり、被害者視点で物を考える事で安直に刑法
批判をする行為は頂けないのだ。「HIVの原告団が可愛そうだ」と云う物の見方は
民事裁判で争うべき物事であり、犯罪性を問う刑事裁判で言うべきでは無いのだ。
馬鹿は基本を取り違え、掻かなくてもな恥を掻く。これはこれ、それはそれである。


2004/2/22 【街の中心で思わずギャアと叫んだ原因はバケモノ】
 「嫁に見つかるとアレやから預かっといて」と兄が送ってきた段ボールの中身は
何とモデルガンがぎっしりであった。10年ほど前にパイソンで撃たれて殴り合いの
ケンカをした事があったが、まだこの趣味と切れていなかったのか……。
 私と被る趣味などビートルズとバイク程度であり、その他は全く違う兄なのだが、
このモデルガンの趣味だけは永く気に入らない。他にもベレッタやCコマンダー、
銃身カットの44マグ等々、思わず「変な改造をしていないだろうなぁ?(汗」と心配に
なってチェックをしてしまった程である。「捨てるで?」と電話をすると「アカンで!」と
即答する辺りが正直アホ過ぎる。
 都市部のマンションの子供、更にその中でも一部だけなのだろうが、夜の公園で
サバイバルゲーム紛いの事をして遊んでいるらしい。高校時代、当時の友人が
中学時代の遊びに付いて話をした時があり、「ルンペン撃ちまくったら怒って追って
きよんねん」と笑顔で話す某巨大寺の息子に対し激しいカルチャーショックを覚えた
物だったのだが、数年の時を経ようともサバゲー遊びは無くなっていない訳である。
 大人げないと言われようとも過剰防衛と訴えられようとも、目の前でサバゲーに
興じている奴が居たら、私は大人子供を問わずして顔を変形させてしまうだろう。
いくらBB弾がプラスチックであろうとも、流れ弾が目に当たれば失明するのだから。
カウンターストライク等のFPSゲームに興じる人達に対して少しもにょるのもご勘弁。

 世に醜悪な物は幾つもある。太宰に被れた人間、綿○りさのコバルト文庫もどきを
面白いと思う俗物、尻も軽ければ口も軽い女、構って気質の低脳。これらの中に
ノーメイクで出歩く女を追加してみようかと。
 ナチュラルメイクは一向に構わないのだが、化粧が下手なのか何かは知らないが
ノーメイクをしてナチュラルであると思い込んでいるとしか思えない群体を見受ける。
白昼の百鬼夜行にしか見えないので勘弁して頂きたい。


2004/2/22 【譲り合いの精神は要らない】
 ダウンタウンのチンカスであるナインティナイン、彼らがメインを張る番組として
めちゃめちゃイケてる!と云う物がある。多くのコーナーはツマラナイにも程がある
のだが、「笑わず嫌い王決定戦」と云うパクリ企画だけは面白く見ている。普段余り
目に掛かれない芸人が数多く出演するコーナーである。
 そこに出演していたコンビに”レギュラー”が居た。松本と西川と云う二人組であり
ネタ自体は面白く見たのだが、ネタ披露後に和田アキ子が「面白無かったらどない
すんねん、松本?」と振るシーンがあった。いわゆる笑いの反射神経が問われる
シーンであり、松本は「パイプカットします」と返して笑いを取った。和田アキ子は
「何が関係あるねん(笑」とツッコミを入れ、それを受けきった後での岡村の被せが
「そんなに使えへんやろ、自分?」と云う物だった。
 笑いのセンスは各個人に準拠する物なので、それがどうしたの?と思う人には
何も説明出来ないのだが、芸人としては最悪なのである。岡村がすぐに被せて
いれば臭気は発さないのだが、一度目に和田アキ子に間を奪われて被せ損ない、
十分に時間が開いてしまったと云うのに「言わなくては勿体ない」との考えが頭を
よぎって言い直し、結果として鮮度が落ちる所か臭気を放ったと云う次第なのだ。
この鮮度の落ち具合を瞬時に吟味出来ない辺りが二流なのだが、周りの馬鹿達が
チヤホヤしてきた事が今日のように目を曇らせてしまったのだろう。また同時に、
和田アキ子に間を奪われた時に、芸歴云々で相手に譲ると云うスタンスが駄目な
のかもしれない。誰であろうと間を強奪出来ない奴は笑わせる資格無しである。


2004/2/20 【恐らく、これは愚痴なんですがね】
 私は会議や話し合いと云う物が本質的に好きではない。頭の悪い人間が雁首を
揃えた所で時間を浪費するばかりなのだが、そう云った人間ほど会議や話し合いを
重要視したがる事も気に食わないでいる。有能な人間が一人か少数だけで物事を
遂行していく方が進行は早いのだが、責任の分散化が為されないと独善性を産む
と云う至極全うな意見一つで、再び怠惰な時間の浪費が始まってしまう。
 少し前の話だが、「性急だ」と私は指摘された。結果的には全て予想した通りに
物事は進行し、私の言った通りに進行すればタイムロスなど皆無だったのだが、
有象無象は「この回り道こそが大事だ」と云う物言いを繰り返す。挙げ句に言う事が
「自信家ですね」と来たもんだ。
 ちっ、今度目の前で脱糞してやる。口をあんぐりしながら自信家とやらがモリモリと
出し続ける樣を目に焼き付けるがいい。元来不確定要素であるべきトラウマの発生
要件をも完全に制御してやる。

 悪魔の辞典っぽく言うと、モラルの定義とは「ロジックを使い切った人間が持ち出す
張り子の寅」になるのだろうか。どうも私はこの手の言い換えが上手くない。

 WinにNetscapeComposer4.78を導入してみた。見事なまでにCSSを読まないわ、
入れ子テーブルを不細工に解読するわで、非常に楽しくなってしまった。モトローラ
マシンは既に上海マシンと化している訳であり、わざわざモデムを引っ張り出して
電話回線でネットに接続つもりは毛頭無いのだが、パワーPC石ではなくモトローラ
マシンである以上、使用ブラウザはSafariなんて良い物ではなくネスケなのである。
いつかMacで閲覽した時のためにも、やはり優しいサイト作成を心がけたく思う。
 可愛くないWinをおさらばしていつかはMacに戻ろうと画策していたのだが、友人の
renさんがこの度Macを購入されたそうで、非常に楽しそうで羨ましく思ってしまう。
電気スタンドを買いネスケ4をインストールしてニヤニヤするか、可愛いカラクラは
そのままにLC520(もう一台の68030石)をG3改造するか、X68KをWin改造するか。
私は非常に物欲が薄い人なので恐らく上記は画餅となるのだが、やはり羨ましい。


2004/2/18 【WGPまであと40日余り】
 ノリックが戸惑っているようだ→。Yamahaの開発ライダーとして二年間耐えて
きたわけであり、満を持してのWGP復帰だと云うのに、些か暗雲が立ちこめている。
ヴァレンティーノロッシが三位に入っている所からも今年のYAMAHA M-1の戦闘力
自体は低くないはずなのだが、やはりブランクの長さが響くようで。
 先日バイクが奏でる音の話をしていた。だいたいの感じとして、80年代後半の
マシンとそれ以前のマシンとでは、マフラーを含めた爆音が大きく異なっていると。
HONDAに代表される低音下への流れは、メーカー製マフラーの消音効果をほぼ
限界まで高め、バイクから聞こえる一番大きな音がエンジン音、と云う程度にまで
小さくなってきている。そして私達はこれこそが味気ないと云う結論だった。
 煙草と同じく、バイクも嗜好品の一つであり、乗らない人にはうるさいだけの乗り物
なのだと思う。しかしエンジンに火を入れた瞬間の音や、マフラーからの重低音が
物足りない物になるのは、どうにも仏頂面になってしまうのだ。珍走団のように
マフラー取っ払いなんて事をすれば爆音だろうけど、メーカー製マフラーは良い音を
出すのだがなぁ。
 M-1の市販バイク型であるR-1だが、静かな排気音のせいでメカノイズの方が
大きく感じるのがイヤンである。刀にはヨシムラ、Ninjaには湾岸のように、R-1には
これだ!ってなマフラーがあるのだろうか。音と値段さえ満足できればいつか乗って
みたい一つである。

 メイビちゃんが誰かに似ていると思ったら、魚住りえに似ているのではないかと。
スットラーイクッとなる人には共通点があるのかもしれない。やはりカワイ……もとい
美しい子だ。

 夏樹レイナ、ねぇ→
 子供を堕ろしたこの女に対する批判、堕ろさせた山本に対する批判、それとこれと
同じ物として考えるから「売名だったのか、山本可愛そうに」となるのだろう。別物を
同じ軸で捉えて論じる輩は愚物である。
 堕胎経験がある人に対して軽蔑しない為のロジックは既にある。同時にそれとは
真逆のロジックも私の脳内にある訳で、女性が「実は…」とカムアウトした時に脳が
停止する事は無いと言えるが、同時に何か奥歯に引っかかる物も生じる。
 「この人殺しが」と罵倒した事もある。「終わった事さ、囚われるのは良くない」と
一緒に泣いた事もある。言った時の精神状態が分からないが、前者は相手を心の
底から軽蔑したいから、そして後者は心から相手が好きだったから言ったのだろう。
こう云った話はどうにも心が痛くなるので、その時、その相手に対して私が選んだ
ロジックが整っていさえすれば満足する事にしている。完全なるロジックさえ有れば
心など何度でも糊塗できると。
 だって、嘘を吐く時よりも私の心が痛まないからね。


2004/2/17 【もののあはれ】
 2chでよく見られる光景として大阪叩き、もしくは大阪人叩きがある。いつも通り
盛り上がっているなぁ、と私は眺めるだけであるが、マナーが悪いだの規範が無い
だの言われると、それは違うんやないかな、と思う事がしばしば。

 マナー、規範、常識、こう云った個人に準拠する概念を分けて考える必要は無い。
最大公約数の形では「社会」と言えば良い。この社会の名の下に、マナーや規範や
常識が成長と共に形成されていく。一人ではなく、二人以上の他人が集まり形成
されるのが社会である。軋轢を回避する為にはこう云う物が必要なのだ。

 田舎者の集まりで出来上がった街ではマナーが必要である。文化圏も異なり、
それに伴う常識と云った物が全く異なる人達が、同じ場所で社会を作るのだ。
それはそれは重箱の隅をつつくような箇所まで「マナー」と呼ばれる物を突き詰め、
現在の東京が出来上がる。
 東京ではマナーを守らない人間に対しては何をしても構わないと言わんばかりの
反応を取る人を見受ける。本来の軋轢を回避する目的がどこかに行ってしまい、
この様に既に慣習法の体を為しているのが恐ろしい。これをして本末転倒と感じ
得ないのは相当に病んでいるのだが、物事は内部からの視界と外部からのそれが
大きく異なる物であり、致し方ないのかもしれないと思う。郷土が無いと云う文化的
背景の希薄さが故の悪弊かもしれない。
 大阪の規範は少ない。無いのではなく少ないのだ。上方文化と云う物が古来より
形成されていた土地に於いては、他の人が多少入ってこようとも古のそれは大きく
揺らがず、多数の規範を作る必要が無かったのだ。その古い街である大阪に、
田舎者が集まって作った新興の街の規範をいきなり持ち込み、「マナー違反だ」と
声高に叫ばれても私達は困る。
 江戸の頃から東京に根を下ろしている友人連中は、せせこましい事を言わない。
何かに付けてしゃかりきになるのではなく、万事まったりすれば良いのにね。


 サイトスペースを変えたついでにソースを見直していたが、どうも私のソースが
美しくない。カラム位置を合わせていない事も多いし、4.01Transitionalではないのに
それを謳っていたり、CSSには死んでいる指定が残っていたり、pかdivか明確にして
いない要素が在ったり、素人丸出しのソースで苦笑してしまった。見えりゃええわい
ってな心構えがイカンね。


2004/2/16 【君の番だよ、オービー君】
 郊外型の大型電気店でよくある光景に、電気マッサージ椅子に座る老人達と云う
物がある。他にも日頃の疲れを癒すパパさん連中も気持ちよさそうに寝ている姿を
見受けるが、若い人は一人も居ない。「どれだけ気持ちが良いのだろう」と思っても
試す機会が無いままだった。
 先日DVDメディアを買おうと店に行くと、液晶TVのコーナーでT3のDVDを放映中。
5.1chサラウンドスピーカーを繋いだアンプ、各スピーカーが向いている中心点には
何と電気マッサージ機能の付いたリクライニングチェアー。
 ちゃーんす、とばかりに座り込みスイッチを入れてみた。するとどうだろう、手も足も
ググッとロックされ、更には締め付け始めたのだ。スーパーマン3電子の要塞での
悪役のおばはんを彷彿し、これはやばいって!とリモコンを取ろうとするも、手は
完全にロックされている状態である。更には足部を宙に上げる機能が付いており、
気が付けばロック状態の足を無理矢理はがす事も出来ない。だからと云って店員に
助けを求めるなど、みっともなくて私に出来るはずもない。しかしこのままでは機械
に陵辱されてしまう。
 FFのコマンドで云えば「逃げる」を選択するも失敗続きの状態だった。約15分後に
監獄固めから解放されたが、感想としては「5.1chサラウンドはめっちゃ音が良い」
であり、付け加えるならば「マッサージ器の強さレベルは”強”にしちゃいかんね」
であった。怖い物見たさで椅子に座る前よりも、確実に今の方が身体が痛い。

 鶴田真由の二世と云う触れ込みである→
 やっべかわいいと一瞬思ったのだが、万年二十歳を自称する私もふと我に返って
考えてみたのだ。山内メイビは16歳だ。私の歳が16の頃、万年二十歳と云う人が
同い年の高校生を捕まえて「やっべかわいい」と言っていたら、恐らく気持ち悪いと
思っていたはずなのだ。否、確実に思っていた。
 歳を取るとはこう云う事だったのか、と気付いた。うかつにも「カワイイねー」などと
言っていると、下手をすれば変態扱いをされてしまうだろう。危ない危ない……。
「メイビちゃんは美しい」と言う事にしよう。


2004/2/15 【下駄を鳴らして奴が来る】
 もう少しだけ音系の話を。
 今夏の東京ドームで氷室京介がライブを行うらしい。だが、暴威時代の曲を初めて
解禁するとなると話は違う。布袋が過去を振り返る事なく新しい音を作り出している
のに対し、なぜ今になって氷室は暴威時代の布袋作曲の歌を歌うんだ、と。
 クラスの男子全員が暴威ファンと云う時代だった。黒い下敷きに布袋のギターを
真似たペイントがなされ、休憩時間にはその下敷きをギターに見立てて演奏する
フリをする奴など掃いて捨てるほどにいた。それが故に突然の解散の知らせに
悲しむ野郎共は多数おり、神格化されていた布袋のギタースコアのコピーが飛ぶ
ように友人間に出回った。丁度バンドブームが始まる頃の話である。
 解散の本当の理由はよく分かっていない。氷室と布袋の間での山下久美子の
取り合いだったと云う噂がまことしやかに流れていたが、子供の耳に届くニュース
など眉唾もいいところである。ただ、氷室が「布袋の顔は二度と見たくないと言った」
と云う話が真贋定かでないままにバッドニュースとして拡がっていった。
 私はヒムロックが好きだった。彼のアルバム、販促ポスター、全て集めていた程の
痛い痛いファンの一人だった。暴威を卒業した氷室に対する応援の一環であり、
数年後の「kiss me」と云う歌に至っては、これぞヒムロックっちゅぅ感じやで!と
鼻息を荒くしていたのだが――なぜ今になって(汗。
 ポールが自分で作曲したBeatlesの曲を歌うのは構わない。Lennon-McCartney
名義であっても、私達はどの曲がどちらの作曲なのか明確に知っているのだから。
しかしながら、Lennon作曲の物を歌ったとしたら、「ふざけんなよ」となるのである。
これと全く同じ話として、氷室が布袋曲を歌うのだけは大反対なのだ。感情に基づく
非ロジカルな物言いは嫌いだが、痛かったファンの一人としては切に願う。

 カラオケの選曲だが。
 失恋の曲を歌う奴には「同情を買いたいんか」となるし、片思いの曲を歌う奴には
「だー、うるせえうるせえ」となる。逆に恋愛の曲を歌う奴には「春爛漫やな」となり、
必要以上に艶っぽい選曲をする奴には「異性を意識しとんなぁ」となる。ようするに
ひねくれ者なのだが、他人の選曲を額面通りに受け取れない事が多々ある。
 その中で、おぉカッコイイと思った物がいくつかある。
・かまやつひろし:あゝ、我が良き友よ
・筋肉少女帯:蜘蛛の糸
・BORO:大阪で生まれた女
 異性の目を意識している訳でもなく、艶っぽくもなく、なぜか静かに盛り上がる。
こう云った選曲をする奴は普段カラオケに行きたがらない連中であり、実際に行くと
面白いのが彼らの方なのは不思議である。兄が居る連中は上の世代の曲を聴いて
育っているが故に古い曲をよく知っているが、長男の奴は「知らない」を連発して
流行り物のナンバーを入力し始める。少しは空気を読めと。ムッシュかまやつの後に
SMAPは無いだろうと。


2004/2/13 【サトリアーニタイプはライトハンドじゃない】
 「ファイト!」を歌っていると、福山ヴァージョンだね?と突っ込まれる。その昔に
歌唱中の私の声が福山雅治のそれと似ていると勘違いしていた人が居たのだが、
その時以来の耳の悪さを感じてしまった。カラオケBOXで桜坂の番号を入力され、
「はいっ」とマイクを差し出しされた時の記憶が頭をよぎり、嫌な汗を少々。
 昨年の夏に発売された、椿の川の流れのようにが好きだ。カバー曲で良いなぁと
思える物はあまり多くないのだが、綺麗に歌っているよなと聞く度に思う。河口某も
カバーと言って売り出せば叩かれる事も無かっただろうに。

 さて、今日とんでもない事を知ってしまった→。TMGだと?おふざけが過ぎる。
 マイケルシェンカーと云う神がいた。今は少々神と呼ぶにはアレなのだが、その昔
「神とは?」と聞かれればシェンカーかマス大山のコブシだった事は間違いない。
その神が作りたもうたバンド名はThe Michael Schenker Group、略称をMSGと云う。
TAK MATSUMOTO GROUPでTMG……。曲に飽き足りず、ついにバンド名までを
パクるようになったのか。
 初めてなぬっ?と思ったのは「ALONE」と云う曲だった。当時、モトリークルーや
Gun'sの曲を友人から借りて聞き始めた頃であり、B'zが彼らの曲を真似ていた事に
気付くのはもうしばらく後の事だが、私の洋楽はビートルズから始まっていた事が
「ALONE」のパクリを気付かせた。そのサビの部分が、ポール作曲の「ヘイジュード」
と全く同じだったのである。
 十数年ぶりにカミングアウトするのだが、私はB'zと云う恥知らずな二人組の事が
吐き気がする程に嫌いだ。一部の曲だけは「良いな」と思った事があり、その矛盾を
自認している内は抑制も効いたが、流石に今回の事でプツリと吹っ切れてしまった。
ほんと、何なんだこいつらは?

 こう云う事を書くと、声が高いだけで上手くとも何ともない稲葉のファンが、こんな
時だけ松本のファンになってピーチクパーチクさえずり出す。ギブソンが松本の為に
ギターを作った。VAIは松本を認めている。エアロもB'zを気に入ってライブを……。
正直うるせーっての。
 私達の世代はギターテクニック至上主義ではある。エドワードヴァンヘイレン、
ポールギルバート、スティーブヴァイ、イングウェイマルムスティーン、それぞれに
濃いファンは居た。松本もギターテクニックだけで言えば下手な部類には入らない。
だが、ミュージシャンである以上は作曲が出来なければダメなのだ。イングウェイが
あれほどのテクニックを持ちながら数回聞けば飽きるアルバムしか作れないのは、
作曲がダメだと認められないと云う真実を導き出している。あまつさえ、同業者の
海外ミュージシャンからパクりつつも作曲が「はぁ?」では、開いた口が塞がらない。
エアロからパクった時には、開いた口どころか思わず腰まで抜けた。

 日本で火が点いたバンドも多く居る。リバイバルで売れているQUEENも然りだが
ANGRAも日本発と言って良い程に売れていた。だが多くの人達が買うのは、キンキ
であり、ミスチルであり、浜崎あゆみであり……。特にRUIが売れていたのには、
真面目に聴覚を使っているのかと思った程だ。
 自前では作詞作曲が出来ない奴らは歌手や演奏者に過ぎないのである。作詞
作曲が出来て初めて、アーチストと呼ばれる存在たり得る。忘れてはいけないのが
アーチストとは創造者なのだ。過程での模倣は誰もが一度は通る道かもしれない。
だが完成品として名を以て世間に出す商品に於いては模倣物が許されないのだ。
オマージュ、つまりは過去の創造者に敬意を払う事とは、ミス○ルや○'zのように
そのまんまコピー作品に自分達の名前を入れて世に出す事であってはならない。
 中流意識が蔓延した結果、貧富の差に対して自覚の無い人もいるが、こと耳に
関しては貧富の差は明確である。耳貧乏な輩は一生○'zを聞いていれば良い。
しつこいようだがTMGはねぇだろ、TMGは。 


2004/2/11 【ふっしぎぃ〜のコーナー】
 「ええか?、よう聞けよ?」から始まる話は我が家の長兄ラオウの言葉である。
曰く、「味付けの濃い薄いのラインと、エアコンの寒い熱いのライン、これが大事」と。
これがラオウの言う”長くお付き合いをする基本原則”らしいのだが、後者の空調
云々に付いて深く同意の意を示してみた。考えてもみなかった着眼点である。

 ケイゾクと云うドラマが在ったが、そのヒロインである柴田純にそっくりな人を今日
見かけてしまった。もちろん顔ではなく、身だしなみの部分が、である。
 私はあまり他人に興味が無い。もしかすると元々は在りすぎる程にあった興味が、
どうせ明確に他人の事など分からないのだと思った瞬間から、努めて興味を無くす
視覚を抱くように傾いていったのかもしれない。故に現在は常時無関心である。
 そんな私の目に飛び込んできたのは、なんと電車の中で手をカスタネットのように
叩いている仕草だった。よく見れば何かハンディカムに撮った映像を見つつ、足でも
リズムを取りつつ、そのように手を動かしているのである。
 「不思議な人だなぁ」と眼球のズームを引いてみると、髪はいつ洗ったのかが
分からない程に汚れきっており、黒い膝下まであるコートは汚れ、下に履いている
パンツにも泥が垣間見える。さらにはどこかで拾ったような革靴。そして太い眉毛に
くっきりとした顔立ちだが、いつ洗ったか分からない程に汚れきっていた。
まさしくリアル柴田純じゃないか、と。
 彼女がさらに激しくリズムを取りだした辺りで私は電車から降りた。職業や年齢、
さらには素性と云った物の全てが読めない時、人は何か警戒心を抱くようである。
ただ、キレイな人だったから深い謎が残ると云う話であり、そうでない人だった時は
一瞬にして記憶から消していたのだろう。この辺りは現金な物である。


2004/2/10 【ケルピーに泣かされた思い出が】
 カルドセプトと云うゲームがある。最初はSEGAサターンで発売され、非常に好評を
博したゲームである。そして後にPSに移植される。

 Y君と云う友人が居る。大学時代、講義が終わると同時にバイクで数時間走り
まわって、疲れた頃に缶コーヒーを二本を手みやげにして、自分の部屋にではなく
彼の部屋に上がり込む。私の部屋とはわずか十数歩と云う距離だったのである。
 部屋にある書籍は特撮雑誌「宇宙船」のバックナンバーと、週間プロレス、そして
本格推理小説と云う、私の内向きの趣味と多くを共にしていた。故に居心地が良く、
遊びに行って部屋で寝ていても何も干渉してこない、そんな間柄だった。ただ唯一
どこか歪だったのは、一緒にやるテレビゲームのプレイスタイルの違いだった。
 ある時、「ようよう」とドアを開けると見慣れないゲームをしていた。いつものように
パワプロをやろうと意気揚揚と遊びに行ったのだが、とりあえずは新作ゲームを
眺める事にした。聞けば、トレーディングカードゲームらしい。

 数百種類に及ぶカードから50枚のブックを作り、それをボード上に並べて闘う。
4つのエレメントからなるクリーチャーと、無属性のクリーチャー、そしてアイテムと
スペルからそのカードの種類は構成されている。書けば単純だが、この50枚から
なるデッキをいかに上手く作るか、またいかにカードを集めるかが難しいのだ。
今で言う遊戯王であり、古く言えばマジック・ザ・ギャザリングである。
 私はY君の余りカードを貰ってデッキを作り、ひたすらに対戦する事にした。私が
持つカードは全て「彼の余剰カード」であり、良いカードなど一つも無いと云うのに、
彼は容赦なく毎日毎日完膚無きまでに私を殺し続けた。ほんわかした沈黙ではなく
台所に落ちる水滴の音ですら聞こえるほどのピリピリとした雰囲気。

 だが、ここで私もカルドセプトを買って自分でデッキを作るとなると、毎日遊びに
行っていたのに急に行かなくなる訳であり、「何やってんの?」とY君が遊びに来る
可能性が高いのだ。そして私がデッキ作成にいそしんでいる姿を見られては、
「何だよ、○○必死だな」と笑われてしまうだろう。それだけは何としても避けたい。
 そこで出てくるのが神を自称する天才、親友K君である。Y君とこんな感じでさ、と
カルドセプトでの経緯を話すと、「何だよ、二人して必死だな」とひとしきり笑った後で
「じゃぁ俺がデッキ作ってやるよ」と言い出したのである。
 二週間後、彼に呼ばれてバイクを飛ばして部屋に行くと、何と全種類のカードが
彼のメモリーカードにはそろっていた。「俺様にかかれば余裕」とうそぶきつつ。
そしてY君へのリベンジの為に、二人でデッキを練り直したのである。

 こんな事をつらつらと思い出したのは、唐突に沸いて出た「カルドセプトやりてぇ」
と云う衝動が原因である。対戦をしなくては本来の面白さは味わえないのだが、
この欲求を満たすために、次回作であるカルドセプトセカンドを探してこようと思う。
PS2版ならば探せばすぐ見つかるらしいのだが、私はPS2を持っていないので
DC版を探す事になる。DCのゲームを買うのなんてオラタンかベロニカ以来だが、
そもそもDCゲーム自体を発見できるのかどうか。


2004/2/9 【時よ止まれ、君は美しい】
 反省は前を向いたまま出来るが、後悔は後ろを向かなければ出来ない。これは
恐らく高校時代、哭きの竜を読んでいた頃に学んだ事である。
 男は背中で物を語ると言う。泣きはらした顔で過去を顧みる事があったとしても、
前を向いたままならば背中を見せるのみであるのに対し、振り返った顔を見せれば
格を落とす事となる。男に後悔の二文字は許されない。もちろん、こう云った物は
思いこみの産物なので、「男とは?」などと云う事を常々考えている奇特な人で
なければ思い至らないのかもしれない。
 何度かWebスペースに今日のような内容の事を私は書いている。徐々に薄れて
きはじめた時に改めて暗示をかけ直すような、そんな行動だと自認している。

 メールアドレスを複数持つ人は多いと思う。私の問題はそれぞれのチェック頻度が
大きく違う事である。
 PCを立ち上げておけば、数分に一度確認するアドレスが2つ。これはまぁいい。
問題は半年から一年に一度だけ確認するアドレスである。「確認しなくちゃだ」と
そのアドレス用のメーラーを探していると、懐かしいポストペットの受信履歴の中に
甘酸っぱい物が残っていた。
 だが、数分だけ胸を一杯にした後は、すぐに冒頭の内容を思い出すのである。
「はは」と苦笑いをし、かなり逡巡したが削除した。武士は食わねど高楊枝なのだが
多大な勇気が必要だったのは言うまでもない。

 良くも悪くも過去を思い返すのは老人の所業である。悪い思い出であってもそれ
以上傷つけられる事はなく、徐々にだが美化されて行く。良い場合はさらに性質が
悪く、それにすがって生きていける程の脚色が為される場合もある程だ。そして
私は囚人に身を落とすつもりは毛頭ない。囚われた者の目は全てを濁らす。


2004/2/7 【燦然!】
 美術館でレンブラントを鑑賞すると云う、サバ柄じゃねぇ極致を味わってきた。
「あはは、何やってんのよ?おめー(笑」と、もう一人の自分がツッコミを入れる。
実はこう云った後から思い出し笑いが出来る冒険が大好きなのだ。タッチも何も
分からないくせに、「ふ〜む、素晴らしい画風だなぁ」と独り言を漏らしていた辺り、
この先10年くらいはニヤツキのネタには困らない。うくく。

 人は全て必要な時には必要な仮面を付け、その場ゝを演じるのだと思っていた。
しかし、仮面などと云う概念などなく、素の顔のままで生きている人が多いのだと
気付かされた。
 彼らには私達のような階層の人間が掴めないらしい。仮面を装着して演じる
私を見ては「無理をしているのかな」と思うようで、ごく自然に演じていると言っても
にわかには理解し得ぬと云う顔をする。分からない人に分かるように説明するのは
労力が必要なので、面倒だと思った私は適当にはぐらかして話を終えた。 
 月影先生に教えてもらえと。身内以外の人間は客に過ぎないのだ。

 ふと入った飯屋に飾られていた物。
 まず阪神タイガースグッズ数点、そしてボブサップのフィギュア、なんとノブ高田の
フィギュア、フットボールのヘルメット、最後はミル・マスカラスのマスク……。
 この最後のマスカラスのマスクが気になり、食事前スポーツ新聞を読みながら、
そして食事中も食後の一服の最中も、「この店の大将とはきっと気が合っちゃう」と
ドキドキしていた。趣味が丸被りだ、何とか話しかけるチャンスは無いものか、と。
 おあいそを済ませた後、「マスカラス激シブっすよね……(ハァハァ」と、恐る恐る
切り出した。大将曰く、「ふふ、カッコイイだろ?」と。少年の心を持ったまま大人に
なるとはこう云う事だよなぁ。


2004/2/6 【マリーアントワネットの如く】
 小学校の帰りに持ち物が無くなり、持たせた給食費も消失し、着ていった上着も
帰ってくると消えているらしい。知人の知人、つまりは赤の他人の子供の話だ。
 どこからどう聞いても重度のイジメ状態にあるとしか思えないのだが、その子の
親はそれを認めないらしい。「物を大事にしないのならば、次はもう買わない」と
逆に子供を叱責するような状態だと。
 「うちの子にかぎって」なんて言葉は田村正和が主演した古いドラマの題だが、
いざ自分が親と云う存在になると、なかなか他人事のようにはいかないようだ。
「まさか」がちらついて視力を失う。
 無理矢理にでも転校させるしか無いでしょ、と私なりの回答を言ってみたが、
直接その両親と交流のある知人にしてみれば、「いきなり教えるのは酷なので、
いかにしてそれを気付かせるか?」と云う問題が発生するらしい。せっぱ詰まって
いるのは子供なのだ。親の心理状態を考えて留保するなど、愚考の極みである。
こういった際に優先順位がテレコになるのは頂けない。

 牛にはBSE、鳥には鳥インフルエンザ。「牛も鳥もダメならばケーキを食べれば
いいじゃない」と、豚肉を食べればいいやと思っていたのも束の間、なんと豚から
鳥インフルエンザが見つかったらしい。牛も鳥も豚も危険とは。
 代替物として他の獣肉も考えられるが、上記三種ほどの流通量は無いだろう。
私は牛肉と鶏肉がダメになった時点で完全に魚に切り替えるが、世間様には
海産物の一切がダメと云う方もいらっしゃる訳で、この先一年以上に渡って今の
状態が続くならば、パニックが起こらないとは言えないだろう。
 もし魚にも何かウイルスが流行ったりしたら、少なくとも私はパニック状態になる。
サバ、サワラ、ウマヅラ、この辺りがダメになると非常に困る。魚には来るなよう。

 小泉首相に対する質問として、「イラクに大量殺戮兵器は有ったのか、否か」
と云う物があった。「無いと云う事を証明出来なかったのだから有ったのである」
と悪魔の証明で切り返していた小泉に、そりゃねぇだろとツッコミを入れた。
 立証責任が原告側にあるのは、法治国家である国々では基本原則である。
つまりアメリカが「有る」と言ったから、日本も集団的自衛権と云うあまり宜しくない
場合が多い概念を持ちだしてアメリカに賛同し、イラク復興の名目で自衛隊を派兵
したのである。そのアメリカが用意した証拠が揺らいでいるのならば、アメリカに
対して今一度改めるのが当然のスジである。
 だがここに来て小泉が言った「無いと云う事を証明できなかった」の主体は、
なんと「イラクが」であった。ここに来ての変節はいけませんぜ。腹をくくらなきゃ。


2004/2/5 【名古屋の人、すまん】
 節分の話に引っ掛けてだが、西と東で味付けに差がある事は有名であるし、
その顕著な物がうどんである事は改めて言うまでもない。二回ほど東京のお店で
出されるうどんを食したが、濃い醤油の味をどうにも胃が受け付けず、その日は
どうにも気分が優れなかった。だが大阪のうどんが最上と云う訳ではなく、讃岐の
人にとっては「何を言っている、讃岐うどんが一番」である。各個人の味の好みに
対して、「○○地方の人って味音痴だよな」などと言うものではない。(建前終了)
 名古屋のミソ煮込みうどんを食べる機会があった。十年ほど前に一度食べたきり
であり、その時に拒否反応は無かった様な気がしたので、勢いよくすすってみた。
すると、途端に気分が悪くなってきたのである。東京のうどんの時と甲乙付け難い
程に。
 汁の色がミソの色なのは、材料でミソを使っているのだから当然である。しかし、
水を適時摂取しなければ食べられない程の辛さは頂けないではないか。こんなん
二度と食うか、と独り毒づいた。まさに東京でうどんを食べた時の再来である。

 この味の違いと云う物はなかなかに根深い物である。「そんなに東京の味が
口に合わないのなら大阪に帰ればいいじゃん?」と、昔上司に言われた事がある。
私は新入社員であり、(おいおいイジメか?)とドキドキした物だが、真剣にそれを
考えてしまうほどに当時は悩んだ。少々の文化の違いは努力次第で順応できる。
だが、マズイとしか思えない味付けに対し、口を誤魔化し続けるのは大変なのだ。

 醤油の種類が少ないのは辛いのである。店舗に一般的に並べられているのは
なんと濃口だけであり、私が好きな薄口醤油や、さしみ醤油、しろ醤油などは
無い場所には全く無い状態である。
 ソースに於いても同じ事が言える。どろ、お好み、焼きそば、これらは全て使う
ソースの種類が違うと云うのに、トンカツソースか中濃ソースと云う類似ソースを
使わなければならないのはストレスに繋がる。ウスターソースなんて焼き飯の時
くらいしか使わないのに、そのウスターだけが何種類も陳列されている始末。
 無い食材を求めるのは無い物ねだりだが、調味料が揃わないのはいらつく。
流通しているネギの種類が少なくて緑色のネギが食せなかったり、シジミが泥臭く
しかめっ面になったり、こんな事は些末な事なのである。キモは調味料なのだ。
白ミソが無くて赤だしを泣く泣く買うのは良いとして、醤油とソースは全国どこでも
同じ物が買える状態が望ましい。

 ま、よくある話題だ。


2004/2/3 【節分】
 近畿だけの風習なのか、西日本全域に及ぶのかは知らないが、節分と云えば
太巻きを食べる物である。元々は海苔屋の宣伝で始まった、いわば2月14日に
チョコレートをプレゼントしてもらう日と同じ、商社の販売戦略の一環ではある。
黙ったままある方角を向いてかぶりつき、食べ終わるまで口を開いてはいけない。
 毎年この方角が変わるので「今年は何だろうなぁ」と聞いてみれば、今年は北東
の方角だと言う。また違う場所では今年は東北東だと言う。確認作業が面倒くさい
ので北東と東北東の間と云う微妙な方向を向いたのだが、この辺りはアバウトで
問題無いのだろう。古くからの慣習と云う訳でも無いしね。

 古賀何某だけが経歴詐称だと思っていたら、何と安倍晋三も詐称箇所があった
との事である。経歴など箔にならないと思うのだが、そこに重きを置いている人に
とっては重要な物なのだろう。どれだけ習熟したかが大事であるし、さらに言えば
その習熟度は教授によって付けられる評点ではなく、各個人の達成感にこそある
と思われる。
 汚れた経歴を引っさげて臆面もなくブラウン管に映る彼らに恥は無い。私などは
せせら笑うに過ぎないが、怒り心頭な人達も多数居る訳で、彼らの様な真っ直ぐな
有権者に対しての説明責任だけは果たして欲しい。少なくとも古賀何某の悪質さ
に関しては腐臭を感じることもあり、早々の決着を望むが。

 少々寝付きの悪さを覚えているので晩酌をたしなむ事にした。識者曰く、赤ワイン
を2杯程度が良い、と云う事らしいのだが、なかなか2杯では収まらない物である。
「コルク開けで封を切ったワインなんて、すぐに飲んでしまわないと風味がね」
とぶつぶつ言いつつ、気が付けば一本開けているようなざまである。いかんね。

 一時期寝食を共にした奴から電話が入る。子供はまだ居ないが、既に結婚して
良き夫として頑張っている樣子が伺えた。話は自然と行方不明になってしまった
友人の話になったのだが、依然として消息が掴めないらしい。スジ者の女に捕まる
から悪いのだと彼は言うが、私は彼からのそう云ったサインを見逃した気がする
訳であり、何とも後ろ髪が引かれる想いを禁じ得ない。
 「奴の消息、忙しやろけどよろし頼むわ」と電話を切った。消息不明になったのが
一人ならまだしも、なんと彼で二人目である。決して希薄ではない友人関係だった
と云うのに、何も言わずに皆の前から消えてしまうのは反則だよなぁ。


2004/2/2 【夜更かし】
 今年のスーパーボウルを見なかったNFLファンは負け組決定と言っても良い。
アイシールド21なんて漫画でフットボールを覚えたような人も、今回のSBで本物の
素晴らしさを味わって欲しい。稀に見るシーソーゲームであり、見ている方も無酸素
状態を要求されるプレイの連続だった。
 パンサーズのQBであるジェイク・デロームには掘られてもいい。むしろ抱いてくれ
と云う感じでもある。ペイトリオッツ7点リードの状態での85ydパスには、思わず
「うぉおおおっ」と云う腹から湧き出る奇声を抑えられなかった。トム・ブレイディは
勿論素晴らしかったが、唸ってしまったのはデロームに対してだったなぁ。
 美味い物、面白い物、これら全てには対価が発生する。塩い新日本プロレスの
興行には500円でも勿体ないと思う時があるし、バックトゥザフューチャーシリーズ
には3,000円を払っても安いと思う。飯を食いに行ってもこの自分で決めた対価
計算を考え、「この料理が1,000円?400円程度の価値だろう」とぼやく時がある。
そう云った意味で今年のSBを量るならば、私は5万円を超える価格設定をする。
いや、これだけ面白い物に対する対価が5万じゃ安いのか(笑。

 ハーフタイムに出たジャネットジャクソンの乳がぽろりしたらしい。見たくも無い
女の乳が出たからといって騒ぐ物じゃないと思うのだが、フットボールを普段見ない
人が明日のスポーツ新聞を見た場合、「ぽろりがあるスポーツなのか!」などと
間違った知識で覚える可能性もある。ニッカンなどは早速報道しているようだし。
ぽろりが見たければ古谷一行が出る湯けむりドラマでも見ればいい。
 そういえば長瀬愛が引退していたらしい。いや、別にショックって程でも無いが。


2004/2/1 【誰がために】
 引っ越しの手伝いをしてきた。朝まで生テレビを横目に段ボールに詰めまくり、
「ごめん、ほんまにもう限界やけ寝かして(汗」と訴える事も数度。手伝ったお礼で
頂いたセヴンスターカートンの封を切りつつ、腰が痛かったなぁと思い出し中。
スパスパ。

 中標津のムツゴロウ王国が、東京のあきる野に移転するらしい→
 北海道にツーリングに行くライダーの中で最も人気があるのが「道東」である。
宗谷岬を含む北を「道北」、札幌や小樽を含むゾーンを「道央」、室蘭などが「道南」
と呼ばれるが、北海道の東側半分を「道東」と呼び、非常に面白い道と見所満載な
スポットで、他の追随を許さない。
 この中標津も道東に属するが、私は行き当たりばったりの旅行が好きなので、
件の王国のように事前に見学許可を頂いて云々の形には煩わしさを感じており、
道東方面に行く時は常に避けたプランを考えていた。故に見たことが無い、と。
中標津にはライダーの聖地とも云われる開陽台があるのでムツゴロウ王国程度が
無くなった所で構わないじゃないか、摩周湖もあるし、と、「畑さんが居なくなるのは
残念」と言う中標津の町長に言いたい。王国目当てで観光に行く人ばかりじゃない
んですよ、とも。

 「○○をしておいて」と言われ、その通りに過不足なく行うのは飽くまでも及第を
意味するだけであって、プラスアルファまでを熟(こな)してこそ「十分」たり得る。
しかし、そのプラスアルファが主体の願った物と異なっていた場合は、「要らない
事をしないで欲しい」となるのが難しい。
 「評判良かったよ」と教えられる。先日の華燭の席での私は「及第」レベル、
いわば「出来て当然」の行為しかしていない訳であり、「十分」と自分で思えない
行為に対しての好評では喜色を表す物ではない。些末な事で相好を崩している
ようでは、わざわざ自ら値打ちを下げると云うものだ。


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